近鉄を過ぎ去ったトルネードBACK NUMBER
野茂英雄のドジャース「トルネード旋風」を近鉄の同僚投手はどう見た?「自分は絶対通用せえへん」野茂に次ぐ“エース”がメジャーを目指さなかったワケ
posted2024/06/02 11:02
text by
喜瀬雅則Masanori Kise
photograph by
Kazuaki Nishiyama
1995年、メジャー1年目からオールスターに出場するなど実力を発揮した野茂英雄。野茂不在の近鉄を支えた先輩投手・山崎慎太郎と野茂を慕っていた後輩投手・赤堀元之はその活躍をどう見ていたのか。(第7回/初回から読む)
野茂さんにはメジャーでやって欲しかった
近鉄にとって野茂がいなくなれば、チームのエースが抜けることになる。その穴は、簡単には埋まらない。実際、野茂がいなくなった1995年の近鉄はシーズン序盤から低空飛行を続け、夏場には最下位に転落。監督3年目の鈴木啓示は成績不振から8月9日に途中休養に追い込まれている。
しかし、赤堀はチームへの影響と野茂の意志を分けて考えていた。
「弱くなる怖さとか、そんなのは全くなかった。もちろん球団にはあったかもしれないですけど、一個人としては行ってほしい、やって欲しいと思っていました。こっちに縛られることもないな、と思っていたんです。野茂さんがいなくなったらいなくなったで、また誰かが入ってくるものなんです。だから、野茂さんにはメジャーでやって欲しかった。『行きたい』という、昔からの思いですからね」
近鉄の“エース“はどう見た?
ここでひとつの疑問が浮かぶ。山崎も赤堀も、近鉄の看板を背負う一線級の投手だ。メジャーで活躍する元同僚の姿に触発されて、自分もアメリカの地を目指そうという気持ちにはならなかったのだろうか。
野茂が長期離脱した1994年に続き1995年シーズンも2年連続2ケタ勝利を挙げた山崎は、プロ2年目の1986年に、米ルーキーリーグに短期留学している。そのアメリカでの経験があったゆえに、むしろ野茂のメジャー挑戦に触発されることはなかったという。