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契約金ゼロ円選手のその後…宅配の夜勤→漁師→たどり着いた「野球塾」の仕事 年商数億円の実業家になったオリックス元選手も
text by
喜瀬雅則Masanori Kise
photograph byNaoya Sanuki
posted2024/04/29 11:05
2000年代前半、契約金0円でオリックスに入団した選手は引退後、どのような道へ進んだのか。その後を喜瀬雅則氏が取材した
高橋は分配ドラフトで入団した楽天を2005年に退団、故郷の高松へ戻ってきた。
1年ほど、宅配の夜勤で「荷物を下ろす仕事をしていましたね」
もう、野球は懲り懲りだと思っていた。実家は漁師。高橋も「カンパチ」の養殖を本格的に手掛けるようになった頃だった。
倉庫を改造し、野球塾の「教室」に
「高橋さん、野球を教えてください」
元プロ野球選手だった高橋のもとへ、近所の子供たちがお願いにやって来た。
漁師の仕事で使っていた倉庫を改造した「野球塾」は、選手2人からのスタートだった。
口コミで、その評判が伝わっていく。
1年もすると、30人の選手を教えることになっていた。
場所が手狭になってきた。そこで高橋は、父親から資金を借り、さぬき市内で倉庫を借りて、そこを改造することにした。
5年間教え続けた後、2016年8月から高松市六条町に野球塾を移した。
生徒数は今や120人。地元の名門・高松商に進み、甲子園に出場した教え子もいる。2021年ドラフトで、巨人から育成8位指名を受けた四国学院大の左投手・富田龍は「高橋野球塾」からプロへ送り出した初めての教え子だという。
漁師と野球塾コーチの二刀流
カンパチの養殖は、5月中旬から12月まで。早朝から午前中で仕事を終えるので「そんなに負担はないですね」。本業を終えると、午後3時頃に高松の練習場へ来て準備、5時前になると、ユニホーム姿の少年たちが続々と集まってくる。
クラス別の練習は、午後9時半に終了する。
それが、一日のルーティンだという。
練習場は、工場の一角を借りた倉庫を改造したもので、土と人工芝を敷き、LED照明に、空調のファンも設置。縦35メートル、横15メートルの屋内グラウンドになっている。
投資は自分へのプレッシャー
2000万円の投資額は、満額の契約金とくしくも同じ額だ。