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甲子園で「投げすぎた男」は「投げないエース」佐々木朗希をどう育てた?…川越英隆コーチが語る“令和の怪物”のリアル「骨端線もまだ閉じてなくて」
posted2024/03/19 11:03
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph by
BUNGEISHUNJU
高校時代に絶対エースとして春夏の甲子園に出場した川越英隆は、学法石川を卒業後に青山学院大、日産自動車を経て、1998年のドラフトでオリックスを逆指名し、ドラフト2位で入団した。プロ野球生活は13年。2011年にロッテでユニフォームを脱いだ川越は球団に残り、翌年からコーチとなった。
引退から9年が経った20年。
川越は指導者として、初めてといえるほどの難題と向き合うこととなった。
「彼の場合はちょっと特殊でしたから」
川越の言う「彼」とは、佐々木朗希である。
大船渡の3年生だった前年。高校生最速となる163キロを叩き出した逸材は、甲子園を懸けた夏の岩手大会決勝で登板どころか試合にすら出場せず、チームも敗れたとあって、高校野球の枠を超え議論の主役にされた。
「令和の怪物」
佐々木はそう呼ばれるようになった。「平成の怪物」と称される松坂大輔をはじめ、ダルビッシュ有、田中将大、大谷翔平。高校野球で「怪物伝説」を残し、ドラフト1位でプロ入りした選手の多くは、高卒1年目から一軍で実績を残してきた。
過去の怪物たちと佐々木の「決定的な違い」
川越は、佐々木と彼らには決定的な違いがあったのだと強調する。それは、高校時代に試合で球数を費やさず、極力連投を避けてきたといった、育った環境だ。
「高校生にしてはしっかりとした体つきかもしれませんけど、プロとして見たら全然細かった。体幹などのコアが弱く、全体的な筋量も足りなかった。関節とかを含めて全体的に柔軟性があるので、朗希は体全体をしならせて投げられるんです。でも、160キロの出力に耐えられるだけの体がまだ備わっていなかったので、怪我のリスクが高かったんです」
そのことから、ロッテは異例とも言える決断を下した。1年目は公式戦に投げさせず、一軍に帯同させて体作りに専念させることとしたのである。こうして、監督の井口資仁をはじめとしたトップチームのスタッフたちが、怪物育成に携わることとなった。