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野村克也もアメリカ人監督も絶賛した“世界1位の日本人”「401奪三振」「ど真ん中でも打てない」じつはメジャー挑戦していた“江夏豊の伝説”
posted2024/01/01 11:03
text by
太田俊明Toshiaki Ota
photograph by
Sports Graphic Number
日本プロ野球史上、江夏豊ほど伝説に彩られた投手はいないだろう。オールスター1試合9連続奪三振、オールスター3試合にまたがる15連続奪三振、史上唯一の延長戦(11回)でのノーヒットノーランを自身のサヨナラホームランで達成、高度な投球術を駆使して日本シリーズを制した“江夏の21球”。
そして、高卒2年目(1968年)の20歳で達成したシーズン奪三振401個の世界記録である。
メジャー監督、野村克也が絶賛していた…
それまでの日本記録は稲尾和久(西鉄)の353個(1961年)。1900年以降の近代野球におけるメジャー記録はノーラン・ライアン(エンゼルス)の383個(1973年)だから、江夏は日米を通じて史上唯一の400超奪三振記録者になる。しかも稲尾が140試合制、ライアンが162試合制だったのに対して、江夏は133試合(当時は130試合制だが引き分けの3試合を追加)における達成である。
この年、1試合16奪三振(セ・リーグタイ記録)、二桁奪三振20試合(日本記録)、1イニング3者三振20回(日本記録)、23イニング連続奪三振(当時の日本記録)と奪三振に関する記録を量産。秋の日米野球でも江夏は、セントルイス・カージナルスを相手に2試合計9回を投げて15個の三振を奪った。シェーンディーンスト監督は「サウスポーでいまの大リーグにもこれほどの投手はいない」と驚き、江夏も「ど真ん中に投げても打てなかった」と語っている(『サウスポー魂』PHP研究所/川上健一著)。
かの野村克也が「打者がストレートを待っていても、ストレートで空振りが取れる“超本格派投手”は、金田正一と江夏豊の二人だけ」(『私が見た最高の選手、最低の選手』東邦出版/野村克也著)と絶賛した直球は、いかにして生まれたのか。
「ストレート1本」でドラフト“競合”
江夏は、中学では野球部に入ったものの、理不尽な体罰に反発して2カ月で退部。陸上部に入り直して砲丸投げで投てきに必要な筋力を鍛え、バレー部でジャンプ力を養った。
大阪学院高校では野球部に入部。ここでストレートに特化せざるを得なくなる事態が起きた。