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KKドラフト“3日後”に桑田真澄から電話「東京に来ているんです」…PL学園OBが聞いた「清原が言うから、巨人に行きたいと言えなかった?」
posted2023/11/01 11:04
text by
柳川悠二Yuji Yanagawa
photograph by
JIJI PRESS
ドラフト史最大の事件といわれる「1985年のKKドラフト」。桑田真澄の早稲田進学はなぜ消えたのか? 巨人の1位指名は清原和博ではなく桑田に……背景に何があったのか? 桑田・清原の先輩にあたるPL学園“伝説的OB”の証言から、あのドラフトの真実に迫った。#2は「ドラフト後、桑田を家に泊めていた……得津高宏の告白」編。〈全2回の#2/#1へ〉
1985年当時、得津高宏はロッテオリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)のスカウトだった。PL学園の11期生である彼は、甲子園に5季連続で出場し、2度の夏日本一を達成して母校に黄金期をもたらしたKKコンビ――清原和博と桑田真澄の動向は親心に近い感情で見守っていた。彼らとはちょうど20歳の年齢差だった。
「お願いします。指名しないでください」
清原は巨人への入団希望を公言してはばからなかった。一方、無口で小柄な大投手は、早稲田大学への進学が基本線とされていた。
得津はロッテの大砲候補として清原を1位指名したいと考えていた。だが、ドラフトを前にして、清原本人にこう言われていた。
《お願いします。指名しないでください》
清原の母からも念を押されていた。
《息子はジャイアンツに行きますから》
得津は「ジャイアンツが本当に指名するかわかりませんよ」という言葉がのどから出かかったがグッと堪えた。指名を強行し、たとえくじ運に恵まれて交渉権を獲得できたとしても、清原は社会人の日本生命に進むだろう。それゆえ、指名を見送った。
「真澄は巨人に行きたいんだな」
得津は桑田とも面談していた。
《得津さん、僕は早稲田大学に行きます》
そう話した桑田に対し、得津は「真澄よ、もしジャイアンツに指名されたらどうするつもりなんだ?」と訊ねた。
すると桑田は言葉に窮し、無言の時間が流れた。得津は振り返る。
「巨人に『行かない』とは言わなかった。なるほど、真澄は巨人に行きたいんだな、巨人から指名されたら断らないんだな、と思いました。ドラフトを前に、そのことを知っていたのは僕だけだったと思います」