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慶応大で1試合も出られず「野球を辞めよう」→ファストリ入社も「30歳で辞める」…“日本初トライアウトリーグ”立ち上げ31歳の驚き人生 

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広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

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posted2023/09/27 11:01

慶応大で1試合も出られず「野球を辞めよう」→ファストリ入社も「30歳で辞める」…“日本初トライアウトリーグ”立ち上げ31歳の驚き人生<Number Web> photograph by Kou Hiroo

「ジャパンウィンターリーグ」立ち上げに尽力した鷲崎一誠氏に話を聞いた

「大学では二軍で終わってしまって、東京六大学には出場することができませんでした。最後の最後まであきらめずに頑張ったのですが……。

 大学でも三塁を守っていたんですが、1学年下に日大三高出身の横尾俊建(現・楽天)が鳴り物入りで入ってきて、僕はそんなに実力差を感じていなかったんですが、彼は1年春から一軍に定着したんです。実力差は感じなかったけど、圧倒的なイメージ差のようなものを感じましたね。

 だから大学で野球はもう辞めようと思っていました。4年まで野球一筋で就職活動をしていなかったので、就職留年という形で5年生になることが決まった冬に、アメリカのカリフォルニアのウィンターリーグに行ったんです」

小学校から始めた野球をここでやり切ったと思えた

 鷲崎氏は当初「思い出作り」という気持ちでアメリカに渡ったが、これが人生を変えることになる。

「カリフォルニアのウィンターリーグは、1月から2月の1カ月間、行われていました。アメリカだけでなく各国から200人くらい集まっていて、それが10チームに分かれて試合をするんです。日本からも10何人か来ていました。日本人はコーディネーターがついていて、日本人のチームに割り振られるんですが、僕は海外の文化も勉強したかったので〈違うチームに入れてくれ〉と言って、よその国の選手がいるチームに入ってプレーしたんです。

 実力的には僕より下手な選手もいれば、高校でドラフトにかかった選手もいました。平均的には僕くらいの選手という感じで、ここで1カ月に20数試合を戦ったんです。

 野球の勝敗もさることながら〈ここで野球をやり切った〉という充足感を持ったんです。このリーグはトライアウトリーグでもあったので、MLBなどからドラフトでかからないかな、という淡い期待もありましたが、それ以上に大学4年間、一度も試合に出られなかった自分が、ほぼ毎試合スタメンで出場できて、プレーオフまで出た。小学校から始めた野球をここでやり切ったと思えたんですね。だから、大学を卒業したら野球をやめて企業に入って頑張ろう、と思うことができたんです」

なぜ「ユニクロ」「GU」のファストリに入社?

 鷲崎氏はこの年「ユニクロ」「GU」のブランドで知られるファーストリテイリング(ファストリ)に入社する。

「アパレルが特に好きだったわけではありません。ファストリはどんなビジネスをしているんだろう、経営者の柳井正さんはどういう経営をしているんだろう、というところに興味があったんです」

 ただし、鷲崎氏は入社した時点で「30歳で辞める」と決心を固めていたのだという。そこからどのようにして、ジャパンウィンターリーグなどスポーツビジネスの世界へと飛び込むための準備を進めたのか――。

第2回に続く>

#2に続く
「GUの店長」だった元慶大野球部31歳は、どうトライアウトリーグを“健全経営”しようとしているか「継続する上では必要な赤字かなと」

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鷲崎一誠
慶應義塾大学

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