Number ExBACK NUMBER
阪神優勝の9回表に流れた『栄光の架橋』、横田慎太郎は「この曲とともに甲子園で試合に出る」と誓っていた…鳴尾浜で目指した“脳腫瘍”からの復活
posted2023/09/16 11:01
text by
横田慎太郎Shintaro Yokota
photograph by
Hideki Sugiyama
特打で聞こえてきた『栄光の架橋』
発病前、僕の身体は186センチ、96キロ。体脂肪率はひとけた台で、筋肉量は80キロでした。しかし、約半年の闘病生活を経て復帰したときには体重が80キロに落ち、逆に体脂肪率は20パーセントまで増えていました。それが、翌春のキャンプが始まるころには、体重90キロ、体脂肪率は10パーセントまで戻っていました。
キャンプでは初日からランニングで最前列を走り、キャッチボールやトスバッティングをこなしました。その後は室内で別メニューになりましたが、ノックを受け、ティーバッティングなどを行いました。
キャンプ後半になると、屋外でのバッティング練習が許され、ロングティーやヘルメットをかぶってのフリーバッティングもできるようになりました。それを見てくれた掛布さんは、「入院中の彼を見ていただけに、特打ができるまで元気になって、僕自身もうれしかった」と話していたそうです。
フリーバッティングは、ほかの選手が昼食をとっているあいだに行いました。いわゆる「ランチ特打」です。
2月24日、掛布さんや坂井信也オーナーも見守るなか、2回目の特打が終わりかけたころのこと。ある曲のイントロが聞こえてきました。
ゆずの『栄光の架橋』。
アテネオリンピックのテレビ中継のテーマソングとしてもおなじみのこの曲を、僕は入院中、何度も何度も聴いていました。いつごろだったかは憶えていないのですが、テレビで偶然耳にしたのがきっかけでした。
この歌詞いいなあ。おれと一緒だ
もちろん、曲自体は以前から知っていました。でも、そのときは歌詞がテレビ画面に出た。それを見て、本当に自分にピッタリだと思ったのです。
「ああ、この歌詞いいなあ。おれと一緒だ」
つらいときや落ち込んだときにいつも聴きました。抗がん剤治療に行く前にも聴いて、「よし、がんばろう」と自分を勇気づけていました。
それで、育成選手として復帰してから、この『栄光の架橋』を自分の登場曲に選びました。甲子園で行われる試合に出場できたら、この曲とともにバッターボックスに入りたいと思ったのです。
この曲とともに甲子園の一軍の試合に出場してやる
その『栄光の架橋』が、僕がランチ特打を行っているときに突然流れてきたのです。板山祐太郎さんの演出でした。