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「酒豪→酒屋購入→引退→中日加入→断酒」“伝説の投手”ドン・ニューカムを知っていますか? サイ・ヤング賞初代受賞者の奇妙な人生
posted2023/07/11 11:00
text by
藤島大Dai Fujishima
photograph by
Getty Images
現在発売中のNumber1076号掲載の[50年前の偉人たち]「昔から超一流はなんか変」より内容を一部抜粋してお届けします。【記事全文は「NumberPREMIER」にてお読みいただけます】
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歴代最多通算511勝の投手の名を冠する「サイ・ヤング賞」は1956年に定められた。全米野球記者協会会員の投票によりMLBのシーズン最優秀投手に与えられる。27勝7敗の初代受賞者はのちに日本のドラゴンズの一塁手兼外野手として上々ではないがひどくもない打率を残した。
なんか変だ。でも事実である。
ドン・ニューカム。ブルックリン・ドジャースの強靭な右腕だった。
この人、アルコールを過剰に嗜んだ。
1977年のワシントン・ポスト紙のストーリーに本人の回想がある。
「勝とうが負けようがクラブハウスを出る前に6、7本のビールを飲んだ」
グレープフルーツのジュースで割ったハードなリカーも好物だった。なにしろ入手には困らない。「1956年に酒屋を購入していた」(同紙)のだから。
1962年5月に中日とサインを交わした
酔って投げはしないが宿酔いではよく放った。しだいに精彩を欠き、いくつか球団を移って1960年限りで現役引退、故郷のニュージャージー州マディソンで酒販業を営んだ。
1962年5月。中日ドラゴンズとサインを交わした。背景には同球団の事情があった。主力放出で観客動員が伸びない。起死回生の策で「大リーガー獲得」に乗り出し、なんとか「元」大物との交渉をまとめた。
キャリアの空白で体形は崩れ、投球はままならぬ。ただしMLBで通算2割7分1厘、15本塁打とバッティングは得意、そこで野手の契約を結んだ。登録名は印象の薄い「ニューク」。301打席73安打。2割6分2厘の数字を記録ブックにさりげなく残し、こんどこそ選手生活を終えた。
同年10月9日、大洋ホエールズとのシーズン最終戦のみ投手を務めたのは愛嬌だ。4回2失点。「消化試合にもかかわらず1万5千人のファンが集まった」(中日新聞)。4日後に離日すると、もう戻らなかった。
ニューカムの酒屋は1965年に倒産、翌年に断酒を果たす。アルコール禍より這い出せて、後年はドジャースの地域連係部門に籍を得る。飲酒トラブル克服の活動に励み、PR会社などを経営した。2019年2月19日に92歳で世を去っている。
見事に投げて、あまりに飲んで、なぜか異国で36歳の平均的な打者となり、飲むのをやめたら長寿をまっとうできた。