「広岡達朗」という仮面――1978年のスワローズBACK NUMBER
「お前なんか他の球団に行ったら…」広岡達朗はなぜ若松勉に厳しく接したのか? “ミスタースワローズ”を発奮させた「缶ビール事件」の真相
posted2023/07/13 17:28
text by
長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph by
KYODO
連載第1回目は、チームリーダーとして初優勝の原動力となった“ミスタースワローズ”若松勉にロングインタビューを行った。(若松勉編の#1/#2、#3、#4へ)※文中敬称略、名称や肩書きなどは当時
「缶ビール事件」による広岡達朗への反発
1977年、シーズン中のことである。就任2年目となる広岡達朗監督と、当時30歳で脂の乗り切っていた時期にある若松勉との間で、後に「缶ビール事件」と称される出来事が起こった。遠征のための移動中、選手たちを乗せたバスがサービスエリアに停まったときのことだ。若松が述懐する。
「トイレタイムでサービスエリアに寄ったときに、それぞれトイレに行ったり、飲み物を買ったりしました。僕は、“甘いジュースを買うぐらいなら缶ビールでもいいだろう”って、ビールを買いました。コーラやジュースよりは身体にいいだろうと思ったからです(笑)。どうやら、その姿を当時のコーチに見られていたようで……」
若松が缶ビールを購入する場面を、当の広岡も「サイドミラー越しに目撃していた」という。その翌日のことだった。若松が続ける。
「翌日の練習のときに、右足に痛みがあって片足だけスパイクじゃなくてズックを履いていました。そうしたら広岡さんに“どうしたんだ?”と聞かれて、“ちょっと痛いんです”と答えると、“足が痛いのならビールなんか飲んだらダメだろう”と叱られました」
このとき広岡は、さらに厳しい言葉を投げつけている。1981年に発売された『小さな大打者 若松勉』(沼沢康一郎/恒文社)から、若松による「広岡評」を引用したい。ちなみに、著者の沼沢は早稲田大学では広岡の1学年上の先輩であり、広岡とともに荒川博監督の下で打撃コーチを務め、若松を指導した経験を持つ。
《何いっても受けつけてくれない感じだった。ともかく“やれ、やれ!”でしょう、怖かったですよ。頭へ来たから、黙って下を向いていたら『返事もできんのか』と言うので、まだ黙っていたら『お前なんか他の球団にいったらレギュラーで出られるか』と言われ、クソーッ、よしやってみるぞ! と思ったものだ》
この言葉を改めて、本人に尋ねてみる。若松は鮮明に記憶していた。