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17歳の日本人ピッチャーが最強アメリカに快投…「何点でも取れる」日本野球を見下すベーブ・ルースを驚かせた“沢村栄治の伝説”

posted2023/03/19 11:00

 
17歳の日本人ピッチャーが最強アメリカに快投…「何点でも取れる」日本野球を見下すベーブ・ルースを驚かせた“沢村栄治の伝説”<Number Web> photograph by BUNGEISHUNJU

「日本プロ野球が始まった日」。それは沢村栄治が最強・アメリカチームと対した試合だった(写真はイメージ)

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太田俊明

太田俊明Toshiaki Ota

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球史に残る大投手の生涯ベストシーズンの成績を比較して、日本プロ野球史上No.1投手を探る旅。稲尾和久、江川卓、ダルビッシュ有、山本由伸らに続く第9回は、沢村賞に名を残す不世出の天才・沢村栄治(巨人)だ。

ベーブ・ルースが日本に…プロ野球のはじまり

 現在の日本プロ野球の起源は、昭和9(1934)年11月に来日したベーブ・ルース率いる大リーグオールスターチームを迎え撃つために結成された全日本軍にある。

 日米野球の主催者は読売新聞で、プロ野球がなかったこの時代、日本野球の最高峰は東京六大学野球だった。しかし、文部省から「日本の学生が、米国の職業野球選手と試合をするのはまかりならん」と通達されてしまい頭を抱えた読売新聞は、やむなく社会人野球から水原茂(慶応OB)、三原脩(早稲田OB)ら、かつて東京六大学で活躍したスター選手たちをスカウトしたが、投手に人材を欠いた。

 そこで、目をつけたのが日本一の快速球投手として夏の甲子園を沸かせたばかりの沢村栄治(京都商業)だった。

 沢村は、甲子園準優勝の実績を持つ強豪・市岡中学(大阪)との練習試合で9回25奪三振完封という快投を演じ、昭和9年の夏の予選でも前年の甲子園準優勝校・平安中(京都)を19奪三振1安打完封して甲子園出場を決めるなど、全国に名を知られた快速球投手だった。

 卒業後は、誰もが憧れた“早慶戦のマウンドに立つ”という夢を叶えるべく慶応大学への進学が内定していたが、貧しかった沢村家の父と祖父から、中退しての職業野球入りを懇願されて翻意したと言われている。

 こうして沢村が所属することになった全日本軍が母体になって生まれたのが職業野球チーム「大日本東京野球倶楽部(のちの巨人軍)」で、沢村は第1期のプロ野球選手ということになる。

最強アメリカVSアマチュア日本

 昭和9年11月2日に横浜港に到着した大リーグオールスターチームは、いまも米国史上最強のクリーンナップと称される強打者が揃っていた。

【次ページ】 沢村の衝撃…「日本プロ野球が始まった日」

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