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プロ野球PRESSBACK NUMBER
元DeNA倉本寿彦の告白…“1つのエラーで急増した”バッシングに「心が痛まなかったわけじゃない」あの“セカンド転向”に何を思ったか
posted2023/02/21 11:02
text by
日比野恭三Kyozo Hibino
photograph by
Naoya Sanuki
雲も風もない、穏やかな2月の日曜日だった。
平塚市総合公園には家族連れの姿が多く見られたが、公園の一角にある平塚球場の中に子どもらの声は届いてこない。静寂のグラウンドに、倉本寿彦がいた。
社会人野球時代の同期と2人で、キャッチボール、ノック、バッティングと、2時間ほど軽めの練習をこなす。
ウエイトトレーニングを終えた倉本に、球場内の一室に招き入れられた。
「ガードは固いですよ」
そう言って意地悪そうに微笑みながら、32歳は椅子を差し出してくれた。
プロ2年目、ラミレスとの出会い
2022年10月16日、横浜DeNAベイスターズは倉本と来季の契約を結ばないと発表した。在籍した期間は8年。その全体像をどう捉えているのかを知りたくて、インタビューの最初に名付けを頼んだ。“○○の8年”の○○に当てはまる言葉は何だろう?
「ほんと難しいとこ突いてきますよね、いつも。答えにくいとこばっかり」
以前と変わらずあごひげを触りながら考える。意外とすんなり答えは出た。
「怒涛の8年間、ですね」
たしかにそうだ。ルーキーイヤーのつまずき、フルイニング出場を果たした3年目、その後の競争激化と出場機会の減少、復活の兆し、ケガ、退団。まばゆい光を浴びた時間と影に飲まれた時間が、目まぐるしく入れ替わった。
最も良い波に乗れたのは、16年からの2年間だったろう。同年より監督に就任したアレックス・ラミレスは、プロ入り2年目だった倉本を積極的に起用した。
ラミレスが選手としてベイスターズに籍を置いていたのは12年からの2シーズン。倉本が入団したのは15年だから、重複はしていない。それが幸いした。
「ぼくに対するイメージ(先入観)がなかった。一対一の人として、ぼくがどういう選手かを知ろうとしてくれたのは大きかったですね。それがラミレス監督のニーズに合ったというか」