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「投げたら壊れる」33年前、近鉄リーグ優勝の代償に“加藤哲郎25歳の肩”…激変した“令和の投手起用法”に何を思う?
posted2022/05/07 11:05
text by
岡野誠Makoto Okano
photograph by
Sankei Shimbun
1989年の日本シリーズで「巨人はロッテより弱い」という発言が報じられ、一躍時の人になった近鉄バファローズの加藤哲郎(58)である。
ロッテの佐々木朗希が完全試合を継続しながら球数を目処に交代するなど、昭和や平成初期と比べ、令和の投手起用法は大幅に変わった。引退から27年経つ加藤はどう見るのか。今の時代に現役生活を送りたかったと考えるのか――。(全3回の1回目/#2、#3へ)※敬称略、名前や肩書きは当時
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「めちゃくちゃ思いますよ。だって、どう考えても投げ過ぎで肩を壊しているので。今は本当に楽ですよね。中継ぎも基本的に1イニングだけで、回の頭から投げられる。昔は人の尻拭いばかりでしたから。それで打たれたら、自分のせいみたいになる。もう最悪ですよ(笑)。1死一、二塁でクリーンアップを迎えたら、そりゃだいたい打たれるでしょ。まあ、昔の使い方がデメリットだけとも言い切れないけど」
1982年ドラフト1位で入団
本音を漏らさずにはいられない男の性格は、プロ入り前から変わっていない。甲子園を沸かせた早稲田実業の荒木大輔や池田高校の畠山準が目玉となった1982年秋のドラフト前、宮崎日大高校の加藤哲は各球団のスカウトに公言していた。
「1位ならどこでも入る。2位なら渋々入る。3位なら絶対行かないと伝えました。甲子園に出ている2人は、俺より契約金が高くなる。それはしゃあない。でも、荒木や畠山より自分のほうが絶対いいピッチャーだから2人が1位で、俺が2位なのは辛抱できへんって(笑)」
ドラフト当日の朝、近鉄から「1位指名します」と電話を受けた加藤哲は「ありがとうございます。お世話になります」と感謝を述べた。契約金3700万円、年俸340万円で入団を決めると、河西俊雄スカウトに「優勝を決める試合で先発するピッチャーになります」と誓った。
仰木監督との不和…「なんで代えるのって」
仰木彬監督就任1年目の1988年、加藤哲は頭角を現す。開幕からローテーション入りすると、2度目の先発となった4月15日の南海戦(大阪球場)でプロ初勝利を挙げた。
だが、翌週の先発で首脳陣に亀裂が入るほどの事件が勃発する。