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〈祝結婚〉稲垣啓太のお相手、新井貴子さんの父・新井宏昌69歳が偉大… 2000安打達成+イチローや丸佳浩らの師匠+解説名人
posted2022/01/27 17:01
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph by
Sports Graphic Number
筆者が「本当にラグビーブームが来ているのだな」と思ったのは、2019年のラグビーワールドカップの大会期間中、近鉄上本町の喫茶店でオールブラックスのユニフォームを着た白人の若者が、箸で必死にカレーを食べているのを見たときだった。
彼は自国を応援するためにと赤道を越えてやってきて、日本文化など知らぬままに腹ごしらえをしていたのだろう。私はしばらく感心しながら見ていたが、今から思うとスプーンを持ってきてあげればよかった――と感じている。
ラグビー日本代表の選手たちは日本中が知る人気者となったが、中でも稲垣啓太の印象は強烈だった。秦の始皇帝の兵馬俑の中に絶対いそうな容貌が、圧倒的な筋肉の盛り上がりの上に乗っている。ものすごい存在感があった。私は「稲垣は絶対にもてるだろう」という確信めいたものを抱いた。
南海の主力→近鉄移籍2年目に打率.366で首位打者
稲垣啓太はこの度、モデルの新井貴子さんとの結婚を発表した。新井貴子さんとは何を隠そう、南海、近鉄で安打製造機として活躍した新井宏昌さんの三女である。
新井宏昌はPL学園、法政大学からドラフト2位で南海に入団。大学4年のときには1年に江川卓がいた。
南海では2年目にレギュラー外野手となり、1、2番、6番を打つ。1981、82年に連続で3割をマークするが長打が少ないこともあり、外野のポジションを内野から転向した河埜敬幸や山本和範、佐々木誠らと争うようになり、次第に影が薄くなっていった。
1986年トレードで近鉄に。相手は山口哲治だった。山口は智辯学園時代から将来のエースと目された好投手だったが、プロ2年目に7勝を挙げたのをキャリアハイとして3年間勝ち星なし。影が薄くなったとはいえ前年100試合以上に出場していた新井の相手には不釣り合いではあった。南海ファンだった筆者にはまったく腑に落ちないトレードだったが、果たして、近鉄に移籍した新井は名伯楽・中西太打撃コーチの指導もあって、劇的に復活する。
移籍2年目には打率.366の高打率で首位打者。この年の184安打はこの時点で130試合制での最多安打だった。対照的に南海に移籍した山口は3年間で1勝もできずに引退した。
新井は40歳になる1992年までプレーし、この年2000本安打も達成。3割5回、首位打者1回、最多安打1回、最多二塁打1回、最多三塁打2回、ベストナイン4回、ゴールデングラブ1回。この時代屈指の安打製造機として球史に名を残した。
引退後は解説者、そして打撃コーチとして活躍する。