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《オリックス25年ぶりV》中嶋聡監督はなぜ“我慢”できるのか? 選手やコーチの証言「目玉が飛び出そうになることも」
posted2021/10/28 11:15
text by
米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph by
KYODO
ついにこの日がきた。一生見られないだろうと覚悟していたファンもいたかもしれない、その日が。
10月27日のロッテ対楽天戦で、2位ロッテが楽天に敗れた瞬間、オリックスの、悲願のパ・リーグ優勝が決定した。
「がんばろうKOBE」を合言葉にリーグ連覇を果たした1996年以来、実に25年ぶりの優勝である。
25年前の優勝メンバーだった田口壮外野守備・走塁コーチに、当時のチームと今年のチームの共通点を尋ねると、こう答えた。
「似てはいないけど、中嶋監督がいるというのは同じですね。あの時はキャッチャーでしたけど」
当時は仰木彬監督というカリスマ的な存在がチームを率いていたが、捕手だった中嶋聡はグラウンド上の指揮官のような存在だったと田口コーチは言う。
「当時から中嶋監督は、本当にいろんなことを考えて、よく見ていました」
とにかく我慢強く、ぶれない
1996年を最後に、オリックスは優勝から遠ざかった。優勝どころか、2000年以降はAクラス入りが2回だけ。2014年の2位を最後にBクラスが続き、過去2年は最下位だった。
負け慣れたチームを、中嶋監督が変えた。
とにかく我慢強く、ぶれない。
これと見込んだ選手を、打てなくても、ミスをしても使い続け、未完の大砲だった30歳の杉本裕太郎やサードの守備が光る25歳・宗佑磨、高卒2年目の大型ショート・紅林弘太郎といった選手たちを開花させた。首位打者の吉田正尚が怪我により離脱したシーズン終盤の優勝争いの中で、成長を遂げた彼らが幾度もチームを救った。
とはいえ彼らは最初から唯一無二だったわけではない。紅林は、ショートの安達了一が出遅れて開幕に間に合わなかったため、白羽の矢が立った。中嶋監督はこう明かす。