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落合博満のオレ流すぎる初陣《開幕投手・川崎憲次郎》に当事者たちは何を思ったのか?「誰にも言えない」「絶対に勝たなきゃ」

posted2021/10/11 11:00

 
落合博満のオレ流すぎる初陣《開幕投手・川崎憲次郎》に当事者たちは何を思ったのか?「誰にも言えない」「絶対に勝たなきゃ」<Number Web> photograph by Tamon Matsuzono

誰よりも「勝てる監督」だった落合博満。在任中は4回のリーグ優勝に加えて、8年連続でAクラスを維持した

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佐藤春佳

佐藤春佳Haruka Sato

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Tamon Matsuzono

異端の名将がグラウンドを去って10年。鮮烈なノンフィクション刊行に合わせ、著者の鈴木忠平氏とともに、「背番号66」を深く知る語り手が集まった。2004年の落合初陣。幕開けの仰天劇で“主演”をつとめた川崎憲次郎。ノックバットにしごかれて、黄金期のメーンキャストに上り詰めた森野将彦。「落合博満」とは何だったのか――。令和の野球界に、その背中を回顧する。【初出:Sports Graphic Number 1036号(2021年9月24日発売)[『嫌われた監督』刊行記念座談会]川崎憲次郎×森野将彦×鈴木忠平「今こそ 落合博満を語ろう」/肩書などはすべて当時】

――監督・落合博満の実像に迫るノンフィクション『嫌われた監督』の発売にあたり、指揮官と縁の深い川崎憲次郎さん、森野将彦さんと、著者の鈴木忠平さんに集まってもらいました。2004年から'11年まで8年間、中日でリーグ優勝4回、日本一1回と圧倒的な勝負強さを見せた落合監督ですが、その手腕には賛否両論がありました。オレ流、非情、変人……様々な異名を持つ落合さんが退任してちょうど10年経ちます。お三方にとってはどんな存在でしたか?

森野 僕はプロ野球選手という立場を与えてもらったと思っています。プロに入れていただいた星野(仙一)さんの存在も大きいですが、落合さんは僕にとってなくてはならない人です。

川崎 オレは逆にプロ野球人生の最後を送ってくれた人が落合さん。落合監督じゃなければ2004年の開幕戦のマウンドにも上がっていなかっただろうし、引退試合もさせてもらえなかった。色々と言う人もいるけど、オレにとっては大恩人です。

鈴木 私は当時、日刊スポーツ新聞社のドラゴンズ担当記者でした。立場としては会社員ですが、それでもお前もプロなんだよ、ということを教えてもらったのが落合監督。普通、監督は大勢の番記者に囲まれているものですが、落合さんは「1人で聞きに来い。それならしゃべる」と言うんです。それまで私は横並び意識も強かったんですが、その言葉の意味は、「プロはそれじゃダメなんだ」だったような気がします。

「突然、凄い声が聞こえてきて……」

――“嫌われた”どころか“慕われた監督”ですね。世間的には冷徹と言われる落合監督の情や人間味を感じたこともあったのでしょうか?

川崎 そもそも引退試合は落合監督の一声でやらせていただいたんですが、その試合前のベンチ裏で写真撮影をお願いした時のことが忘れられないです。うちのオカンや家族も呼んでいたので、監督と一緒に並んで写真を撮っていたら突然、凄い声が聞こえてきて……落合さんの泣き声だったんですよ。しんみりとした空気の中で一番最初に泣き出した。

森野 僕も感情が溢れるところは結構見ました。ファンの方にも有名なのは、'06年にリーグ優勝を決めた試合でタイロン(・ウッズ)が満塁弾を打った後にベンチで号泣していたところや、'11年のリーグ連覇の時ですよね。あと、怒っているときは傍目には分からないところでベンチを叩いている音が結構聞こえていたんですよ。ゴツい指輪してるでしょ。あれがガチャン! ってぶつかる音が響いてた(笑)。

【次ページ】 世紀の奇策「開幕投手・川崎憲次郎」の裏側

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