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元チア部の私が思い出す「彼氏が甲子園球児だった青春時代」 スポーツの強さは“社会との断絶”と引き換えなのか?

posted2021/08/28 11:03

 
元チア部の私が思い出す「彼氏が甲子園球児だった青春時代」 スポーツの強さは“社会との断絶”と引き換えなのか?<Number Web> photograph by Getty Images

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小泉なつみ

小泉なつみNatsumi Koizumi

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 オリンピックがはじまる少し前、開幕の是非を討論するテレビ番組を見た。そこで出演者の有森裕子さんが、「アスリートファーストではなく、社会ファーストで考えるべき」という主旨の発言をしていて、深く心に残った。

 討論番組の放送時よりもさらに事態は悪化しているが、パラリンピックも開幕している。開幕直前、国際パラリンピック委員会の人が、「《パラリンピックの中》と《外の社会》はまったく関係がない」と言っていて、心底驚いた。

 夏の甲子園も新型コロナウイルスの感染が相次ぎ、辞退する高校も出る中、大会は強行された。

「スポーツ」だけがパラレルワールドにある状態が続いているが、この感じは、どこか身に覚えがあった。「社会の中のスポーツ」は私の中でずっと、パラレルワールドだった。その世界は「スポクラ」という名前だった。

なにもかもが異色の「スポーツクラス」

 私の通っていた高校は、全国屈指のスポーツ強豪校として知られていた。各運動部は日本中から優秀なアスリートを集めて編成され、スポーツ推薦で入学した彼らは、「スポーツクラス」と呼ばれる男子のみのクラスに自動的に振り分けられていた。学校は共学だったので、「スポクラ」以外は当然、男女混合クラスである。

 トップアスリートたちは、入学に際して学力は不問とされていたようで、元「スポクラ」の人が「テストは名前を書いただけ」と笑いながら話していたが、あながち嘘じゃなかったと思う。後述の、私がかつて交際していたスポクラの彼は、パン屋の看板に書いてあった「Bakery」が読めなかった。

 加えて「スポクラ」にはクラス替えもない。3年間ずっと男子だけの、なにもかもが異色のクラスだった。

「スポクラ」の生徒は、平日はすべて練習。朝練を実施している部活もあり、夜も21時頃まで練習をしていたので、遊ぶ時間も体力もなかったと思う。週末は試合で潰れる。唯一の休みである月曜も学校はあるので、自由時間は1週間のうち数時間しかないようだった。時々「スポクラ」の教室の前を通ると、多くの生徒が机に顔を伏せて寝ていた。

 また、甲子園にも度々出場していた野球部は校舎とは別の遠方にグラウンドがあったせいか、午前中で授業を終えてグラウンドに向かって行った。一般の生徒が受けている午後の授業を、硬式野球部のレギュラー陣は、受けていなかった。

【次ページ】 「スポクラ」ブランドに憧れてチア部に

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