マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
野球界の迷信? 「サウスポーvs左打者=投手が有利」はウソだよ…私が“伝説の左腕”安田猛から教わった話
posted2021/03/12 17:45
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph by
KYODO
2月20日、胃ガンのために73歳で亡くなられた安田猛(やすだ・たけし)さんには、「サウスポー」について、いくつものことを教えていただいた。
安田さんは早稲田大学野球部の8年上の大先輩であり、同時に、子供の頃から大ファンだったヤクルトスワローズの主戦投手だった。
一度だけだが、「サウスポー(左腕投手)」について、こってりご教授いただいたことがあり、それは今でも私の大きな財産になっている。
もう10年近く前になる。
毎年夏、早稲田大学野球部を目指す高校球児たちが、東京・東伏見の「安部球場」に集結。その腕前を披露し合う「練習会」という行事がある。
その年、中学生の頃からよく知っているある高校球児が、早稲田志望と聞いて、私は引率役として安部球場にやって来ていた。その地方ではちょっと知られたサウスポー。仮に「A君」としよう。甲子園にこそ出られなかったが、早稲田レベルの野球部でも、十分役に立てるのではないか……心配より期待のほうが大きかった。
「あのぐらいの左ピッチャー、なんぼでもおるぞ」
練習会は、投手組が交代でマウンドに上がり、打席に立つ野手組の選手たちを相手に勝負を挑むという、実戦形式のバッティングで進んでいく。
真夏のかんかん照りの中、風もあまり吹かないグラウンド。寒い土地で生まれ育ったA君がヘバリはしないか、それが心配だった。
高校の試合用のユニフォームでマウンドに上がったA君は、ひどくきゃしゃに見えた。屈強そうな体格の野手たちを相手に大丈夫だろうか……と見ていたら、なんのことはない、2イニングをあっという間に四球1つの無安打無失点で抑えてしまった。しかも、アウト6つのうち三振4個。4つ目の三振を奪って2イニングを無事投げきった瞬間、私はつい「ヨシッ!」と小さく叫んで立ち上がっていた。
自分の子でも親戚でもなかったが、4、5年も付き合っているうちに「情」が移っていたのだろう。
「これなら、拾ってもらえるかもしれないな……」
つい発していた独り言が聞こえたのだろう。
私の前で見ていた方が振り返って、それが「安田さん」だった。
「あのぐらいの左ピッチャー、なんぼでもおるぞ」