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濱田太貴、青木宣親、山田哲人の初回先頭から3連弾! 25年前、同じ快挙が“スルー”された意外な理由とは?
posted2020/09/24 11:50
text by
小西斗真Toma Konishi
photograph by
Kyodo News
9月20日の神宮球場で、日本プロ野球史上5度目の快挙が起こった。
広島の先発・中村祐太から、ヤクルトの濱田太貴が左翼スタンドに運んだのが始まりだった。高卒2年目のトッププロスペクトにとって、これがプロ2本目にして初の初回先頭打者アーチ。「追い込まれていたけど、しっかり反応できました」という一本に、青木宣親が15号で続く。さらに3番の山田哲人が10号を放った。
3人とも左翼へ変化球を打ち込んだ。若手、ベテラン、中軸に打ちのめされ、今シーズン初登板だった中村の顔面はすっかり青ざめていた。立て続けに頭上の打球を見送る羽目になった長野久義も呆然としていた。
初回先頭打者からの3者連続本塁打は、冒頭に書いたようにプロ野球タイ記録。まずは過去4度を簡単に紹介する。
初回先頭打者からの3者連続本塁打
(1)1964年7月17日(大阪球場) 南海の大エース・杉浦忠から阪急の衆樹(もろき)資宏、河野旭輝(あきてる)、ダリル・スペンサーが記録した。
(2)1965年8月13日(川崎球場) 被害者は阪神の石川緑。前年の胴上げ投手となったアンダースローに対し、まずは「天秤打法」で知られる大洋の近藤和彦が先頭打者アーチ。新人時代にいきなり31本塁打を放った桑田武が続き、このシーズンに一本足打法に取り組み、生涯最高の25本塁打を放つ黒木基康が3本目を打った。
(3)1989年6月4日(秋田球場) 日本ハム時代に新人でタイトルを総なめにしたサウスポーの木田勇が、この当時は大洋で復活への道を模索していた。しかし、広島打線がそれを許さない。高橋慶彦、正田耕三のスイッチヒッターが出鼻をくじき、知性的な風貌から「銀行員が間違ってユニホームを着とるんじゃないか」と赤ヘルファンが気をもんだ、新外国人のウエイド・ロードンがかっ飛ばした。