酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
呂明賜、南海と阪急身売りに10.19。
昭和最後の野球は平成を先取った。
posted2020/05/04 11:30
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph by
Makoto Kenmizaki
筆者はもともと家で仕事をしていたが、それでもテレビで居酒屋のシーンが出ると「3密」とか「濃厚接触」とかいう言葉が浮かんで眉根をひそめたくなる。気持ち的にも新型コロナ禍の影響がじわじわ来ている感じだ。
じーっと家にこもって野球のことばかり考えているなかで、すごい年だったなと思い返すのが「1988年」だ。今から思えば、実質的な「昭和最後の年」であるこの年を境に、日本野球は大きく変わったのだ。
この年を時系列で振り返りたい。
1月19日、長嶋茂雄、別当薫、西本幸雄、金田正一が競技者表彰で野球殿堂入りした。
当時、長嶋は51歳。8年前に巨人監督を辞してから浪人中だった。
この年のソウル五輪にはレポーターとして参加し、背泳で金メダルを取った鈴木大地(現スポーツ庁長官)をドーピング検査場まで出かけていって祝福。ここで「検問をなぜ突破できたか」が話題になった。また、先日物故した関根潤三からヤクルト監督就任のオファーを受けたものの、断っている。
東京ドーム初戦は江川の引退試合。
3月18日、完成した東京ドームで初試合である巨人と阪神のオープン戦が行われる。日本初のドーム球場は両翼100m、中堅122m。元の後楽園球場は両翼90m、中堅120m。
「こんなでかい球場でホームランなんか出るのか?」と言われたが、以後、このサイズがNPBのスタンダードとなり、以後、ほとんどの本拠地球場がこのサイズになる。かつては「狭い日本の球場で打ったホームランと、MLBのホームランと比較するのはナンセンス」と言われたが、これ以降、日米のギャップが解消されていく。
なお、このオープン戦は江川卓の引退試合だった。「東京ドームができるまで頑張りたい」と言っていた江川だが、その願いは現役としては果たせず。真新しいマウンドに立った江川は、ライバル掛布雅之から三振を奪った。
そして東京ドームは、巨人と日本ハムの本拠地となった。