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8年間でスタメンマスクは10試合。
DeNA西森将司、去り際の笑顔と感謝。

posted2019/12/06 19:00

 
8年間でスタメンマスクは10試合。DeNA西森将司、去り際の笑顔と感謝。<Number Web> photograph by Masashi Nishimori/Instagram

多くのファンの記憶に残る選手ではなかったかもしれない。しかし、西森将司は間違いなく日本最高峰のリーグで戦う「プロ野球選手」だった。

text by

日比野恭三

日比野恭三Kyozo Hibino

PROFILE

photograph by

Masashi Nishimori/Instagram

「もしあの時、打っていたら」「もしあの時、怪我をしなかったら……」そんな思いを抱えて、また今年もプロ野球界から去っていく選手達がいる。スター選手ならば引退の花道も明るく賑やかだが、そうでない他の多くの選手達の、その引き際はひっそりとしていて、ほとんどの人が気づきもせず……。
 このコラムは、そんな決して明るくはない最後の花道を歩いた1人のプロ野球選手にスポットを当てた、静かで、熱い物語である。
 

 西森将司の声を知らない。

 今年、横浜DeNAベイスターズから戦力外通告を受けた選手のリストを目にしたとき、真っ先に思ったのがそれだった。ここ4年ほど、たくさんのベイスターズの選手たちから話を聞いてきたが、西森の声を耳にする機会はついぞ訪れなかった。

 彼はほぼ、一軍にいなかった。圧倒的な時間をファームで過ごした。3年、4年で見切りをつけられたのならわかる。だが彼は、8年間、プロ野球選手であり続けた。

 捕手として先発出場したのは10試合で、すべて3年目に記録された。5~7年目の3年間に与えられた打席数は、各シーズン3打席の計9打席に留まり、ヒットはなかった。一軍出場はトータル38試合を数えるが、代走に出て終わり、の試合も少なくなかった。

 近年は球団の捕手の数が不足ぎみで、ファームで試合に出られる選手が必要だった。一方で、一軍のメンバーを見る限り、西森が彼らを押しのけられる期待は薄いと言わざるを得なかった。

 なかばファーム専属となっていた彼の立場に我が身を置く想像をしてみても、心境までは思い描けなかった。より直截な表現をするなら、どこに光を見いだしていたのかがわからなかった。

 だから、去り行く西森に、話を聞きたいと思った。

 どんな思いで、日々を過ごしていたのか。どんなプロ野球人生だったのか。

 ネットを検索してもインタビュー記事が出てこない男の歩んだ足跡を残したい。彼の本当の「声」を聞き、届けたい――。

「なんか……楽しかった」

 10月の終わり、その機会は訪れた。

 真新しい「青星寮」の1階ロビーで、約束の時間に姿を現した西森と初めて言葉を交わした。とげのない、耳になじむ声。初対面の硬さもあったが、京都育ちの名残だろう、時折交じる関西の訛りが親しみやすさを醸し出す。

 あえて、時系列に沿って話を聞く前に8年間の総括を促した。西森の答えは意外なものだった。

「なんか……楽しかった。野球にずっと向き合えていたので、一軍にいることは少なかったですけど、むちゃくちゃ楽しかったです」

 重苦しい話になるかもしれないと覚悟していたが、その危惧は一瞬で氷解した。

【次ページ】 最初は育成ドラフトの2位指名。

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