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600試合登板、楽天・青山を救った
星野仙一の「稼ぎたくないんかい!」。
posted2019/09/26 08:00
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph by
Kyodo News
プロ野球83年の歴史のなかで、わずか41人しか成し得ていない通算600試合登板。プロ14年目の青山浩二は、今年、楽天で初めてその大台に到達した。
記録を樹立したのは8月14日だった。
ソフトバンクに3-11と大差をつけられていた7回のマウンドを託され、相手を三者凡退で退けたものの、チームが大敗したこともあって試合後の青山の口数は少なかった。
「やっと達成できたという気持ちです。素直に嬉しい。600登板は、自分らしく『どこでも投げる』という気持ちで積み重ねてきた結果だと思います」
だから後日、改めて訪ねた。
――600登板を達成したことの意味をどう考えているか?
青山が察してくれる。あのコメントじゃ物足りないんだろうな――と。そして、「嬉しい」の先の感情を紡ぎ出してくれた。
「小さい頃からプロになりたくて野球を続けてきて、プロになってからは『1年でも長く現役でやりたい』と考えながらやってきた結果なのかな、と思いますね。自分、積み重ねが好きなんですよ。それが、ああやって数字にも残ってくれると嬉しいですよね」
14年のキャリアに影響を与えた3人。
積み重ねの価値は、青山がこれまでたどってきた道にある。
それは単に、練習を積み、登板を重ねてきただけのものではない。艱難辛苦の過程で指導者や先輩たちの助けによって、ギリギリのところで踏みとどまってきた、深い足跡だ。
青山の14年のプロ野球生活において、多大な影響をもたらした人物は主に3人いる。
まず、彼が脱皮するきっかけを与えてくれたのが、2011年に監督となり、2013年には楽天を球団初の日本一へ導いた星野仙一である。
球団創設2年目に入団した青山は、当時から能力の高さを評価されていた。1年目から42試合に登板するなど早くから一軍の戦力となったが、防御率5.89が示すように高いレベルの投球を披露できていたとは言えない。