マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
春になると思い出す衣笠祥雄の金言。
「高校の頃が野球が一番楽しかった」
posted2019/01/16 07:00
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph by
Kyodo News
「出来ない頃がいちばん楽しかった……」
年が明け、新人合同自主トレーニングも始まって、2月のキャンプももうすぐそこまで。
そんないまごろになると、毎年思い出すのがこの言葉なのだ。
昨年4月23日に亡くなられた衣笠祥雄さんが、以前私に語ってくださった。
衣笠さんに星野仙一さん、金田留広さんに穴吹義雄さん。昨年は球界から、バイタリティにあふれる方たちが、何人も鬼籍に入られた。
新年早々の1月4日の星野仙一さんの訃報にも驚いたが、衣笠祥雄さんが亡くなったのもとてもショックだった。なんたって、私たちにとっては「鉄人」だったのだ。
衣笠さんとは、TBSテレビの『ドラフト特番』でご一緒させていただいたのが最初だった。
ドラフト会議の実況に、衣笠さんがメインの解説者となって会場の放送席のセンターに座り、私はその補助として横に座らせていただく。 これ以上ない、光栄な役回りだった。
右の肩をポンとたたかれて……。
2009年のドラフト会議でのことだ。
日本文理大・古川秀一(オリックス1位→引退)やトヨタ自動車・荻野貴司(ロッテ1位)と想定していなかった1位指名が続いて、放送席は凍りついた。
1位指名候補のプロフィールをあらかじめ用意しておくのも、私の役目だった。古川選手も荻野選手もあって2位、いくらなんでも1位はないだろう……。それが私の“ヨミ”だったから、この場面は私の「大ポカ」に違いなかった。
資料がないから、衣笠さんも司会のアナウンサーも言葉が出ない。
問われたら答えるのが私の役目だったが、放送事故になるよりは、と自分から話を切り出して、2人の選手のプロフィールを紹介して、なんとかその場を切り抜けた。
本番が終わって、私の準備が不十分で申しわけありませんでした! 平謝りに謝って、どなりつけられるかと覚悟をしたら、
「いやあ、本来は僕が出ちゃいけない番組だったんですよ。見てないんですから、僕は、アマチュアの野球は」
そのおだやかな語りと笑顔に、私のほうが言葉がなかった。
「今日は助けてもらいました」
そう言いながら放送席を出ていく時に右の肩をポンとたたかれて、もう一度ひれ伏すように頭を下げてお見送りしたものだった。