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山田哲人にセカンドを奪われても、
田中浩康は才能を讃える器があった。
posted2018/10/14 11:30
text by
田中大貴Daiki Tanaka
photograph by
Nanae Suzuki
「あいつは素晴らしい。出てきてくれて良かった。そう思います」
今から4年前、彗星のごとく現れた10歳下のスーパープレーヤーに、田中浩康はこうこぼしました。
田中浩康は尽誠学園から早稲田大学を経て、2004年のドラフト自由獲得枠でヤクルトに入団。球界のど真ん中を走ってきた。そう言っていいでしょう。
堅実な守備と、練習中を含めて失敗知らずのバントのテクニック。勝負強さもあり、大学時代から慣れ親しんだ神宮球場をホームとする東京ヤクルトでも、二塁手の定位置を獲得します。そんな彼がプレーヤーとして脂の乗った、30代に入った頃でした。
同じ二塁のポジションに、日本球界の歴史に名を残すほどの天賦の才能を持つ、若きプレーヤーが現れます。
山田哲人。
山田は2014年にレギュラーに定着するや否や、打率3割を大きく超えながら、鮮やかな弧を描くアーチを量産。そしてスピードもある。日本球界にあまりにも強いインパクトを与える山田哲人の活躍の裏で、田中浩康は定位置から姿を消していました。
「明らかに僕より可能性を」
僕自身、大学時代から早慶戦で何度も戦ってきた、田中浩康というプレーヤーの野球観を尊敬していました。憧れてもいました。キャスターとしてではなく、1人の人間として、レギュラーの座を奪われた田中浩康という男がどんな境地にいるのか、敢えて聞いたことがあります。
「浩康、どう? ゲーム中、ベンチから見るセカンドの景色は。ものすごい選手が出てきたよね。浩康だからこそ、どう見えるかなと思って」
今考えると、少し失礼な質問だったかもしれません。聞かれたくない問いだったとも思います。でも、僕は田中浩康を尊敬しているからこそ聞きました。
「大貴さん、あいつは素晴らしい選手ですよ。明らかに僕より可能性を秘めている。認めています。山田哲人が出てきてくれて良かったです。こんな景色を見られるのは僕しかいないですから」