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「やかましい、ボケッ」「あの人は何やねん!」星野仙一21歳のヤジにキレた後、学ラン姿の本人に肩を叩かれケンカを覚悟したら…江本孟紀の記憶―2025上半期 BEST5
text by

江本孟紀Takenori Emoto
photograph byAsami Enomoto
posted2025/04/27 17:00

3球団をリーグ優勝に導いた星野仙一。明治大学時代から見せていた闘将ぶりとは
ピッチャー交代のアナウンスが流れたはずだが、緊張していた僕にはまったく聞こえない。マウンドで心臓がバクバク緊張し、迎えるバッターは高田繁さん(後に巨人に入団)。当時は明治の、いや東京六大学を代表する俊足巧打の選手だった。
「いいかげんにせんかい!」執拗なヤジにキレた
何球目かは覚えていないが、高田さんが打ち返すと、打球はレフトへ飛んでいった。
「よっしゃ、アウトだ」
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そう思った瞬間、レフトがトンネルした。ボールは転々とレフト後方へ転がっていく。その間、高田さんは俊足を飛ばして、二塁、三塁、そしてホームへ向かってくる。
ランニングホームラン――。
僕は内心がっくりした。フェンスオーバーならあきらめもつくが、レフトのエラーでもおかしくない打球だったからだ。
このイニングが終わると僕は降板し、監督から二軍行きを言い渡された――。
こんな苦い思い出があったものだから、明治には並々ならぬ闘志を燃やしていた。やれコラ、ボケ、カスと言われたところで、「やかましいわ!」と怒る気持ちが込み上げてきた。
そして星野さんの執拗なヤジに対して、しまいには、「いいかげんにせんかい!」と完全にキレてしまい、三塁コーチャーズボックスにいる星野さんをにらみつけた後、マウンドから向かおうと歩み始めた。そのとき、キャッチャーの田淵幸一さんが「エモ、やめとけよ!」と僕のユニフォームをつかんで制止し、その場はおさまった。
お前、オレにつっかかってこようとしたヤツか?
いったいあの人は何やねん――そう思っていたある日、僕は東京六大学の連盟事務局に用があり、同期生らと一緒に神宮球場に向かった。すると、学生帽に学ランを着た星野さんと偶然、遭遇したのだ。