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「藤浪は野球をナメている」藤浪晋太郎が阪神で感じた“空気”「四球出したくて出してるわけじゃない」「心が削がれて…」救われた野茂英雄の“ひと言”
text by

中村計Kei Nakamura
photograph byHideki Sugiyama
posted2025/03/29 11:06

プロ1年目の2013年から3年連続で二桁勝利。藤浪晋太郎が阪神時代を振り返った
「ざっくり言うと、自分のフォームって、内転筋を絞って、けっこう体の内側で軸を小さく使わなきゃいけないんです。大阪桐蔭の西谷(浩一)監督は軸に腕が絡んでくる感じ、巻き付く感じって表現するんですけど。なのに、コーチに外側の力を使うのが正しいんだって言われて、それを習得するために日々、練習したりだとか。あと、背筋を伸ばさなきゃダメだって言われたんですけど、もともと自分はリラックスして、背中が丸まっているくらいの方がよかったんです。なので、練習すればするほど『あれ? あれ?』って、どんどん違う方向にいってしまって」
「フォアボール、出したくて出してるわけじゃない…」
プロ入りして最初の3年間は四死球に関してほとんど何も言われなかったという。
「監督の和田さんも、ピッチングコーチの中西(清起)さんも言わなかったですね。あまりにも連発して、それが点に絡んだら『もったいなかったな』くらいはありましたけど。でも金本政権になってからは散々、言われました。抑えてもフォアボールがな、って。刷り込まれますよね。確かにそうなんですけど、今はいいやんか、と。フォアボール、出したくて出してるわけじゃないですから」
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――抑えたんだからいいでしょう、と?
「っていうスタイルだったんで」
当時の藤浪の心の悲鳴が聞こえてくるような告白だった。
救われた“野茂英雄の言葉”
そんなとき、逆に「抑えたらええやんか」と言ってくれた人もいる。藤浪の記憶によれば、日本人メジャーリーガーのパイオニアと言ってもいい野茂英雄と初めて食事をともにしたのは2018年のことである。「金本政権」の3年目だ。関西キー局の共通の知り合いが藤浪と話をしたいという野茂のために一席設けてくれたのだ。藤浪が思い出す。
「そこで野茂さんに言っていただいたのが、(アメリカに)絶対に行った方がいいと。日本で成績を出してからとか、そんなん関係ないで、って。それと、野茂さんもフォアボールを出しても、そのあとアウトを取れば関係ないやんっていうスタイルではあったので、抑えたらええやんかっていう話はよくしていただきました」
野茂は近鉄時代、毎回の16四球を出しながらも完投勝利を挙げたこともある。推測するに同じタイプで、日本で窮屈そうにしている藤浪に助け船を出してやりたかったのだろう。
「161球」投げさせられた日…藤浪の回想
藤浪の口から再び「金本」の名前が出た。
ここまで来たのだからと覚悟を決め、もう一つだけどうしても聞きたかったことを尋ねた。ただ、藤浪の言葉が鋭利になり過ぎないよう、「差し支えのない範囲で構わないので」と前置きしてから切り出した。
〈つづく〉

