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「森ちゃんが亡くなってから1年しんどかった」池田久美子が26歳で他界した親友に誓った五輪出場「おばあちゃんになっても砲丸を投げたいと…」―2024年上半期読まれた記事
posted2024/10/01 11:01
text by
石井宏美Hiromi Ishii
photograph by
Jun Tsukida/AFLO SPORT
2024年の期間内(対象:2024年5月~2024年8月)まで、NumberWebで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。インタビュー部門の第2位は、こちら!(初公開日 2024年8月9日/肩書などはすべて当時)。
女子やり投げ・北口榛花(26歳)の台頭で注目が集まる投てき界で活躍が期待された一人の選手がいた。女子砲丸投げで、今も破られることのない「18m22」という日本記録を残した森千夏さんだ。20年前のアテネ五輪では同種目の日本勢としては40年ぶりの出場を果たし、歴史にその名を刻んだ。だが、誰もがさらなる飛躍を確信していた2006年、森さんは26歳の若さでこの世を去った。現在の陸上界にもつながる功績を改めて振り返る。【NumberWebノンフィクション全2回の2回目】
森千夏さんが26歳という若さでこの世を去った後、「彼女の分まで」という強い想いを持って競技に取り組んでいた井村(旧姓池田)久美子さんだったが、心にぽっかりと穴が空いたような感覚に苛まれた。
「亡くなって1年間がしんどかったですね。なんでも言い合える森ちゃんがいなくなって、すべてをさらけ出す人がいなくなってしまって」
実は森さんが亡くなる1年前には、父親を亡くしていた井村さん。「その時もなかなか受け入れられなかった」のだという。
「でも受け入れないと前には進めないことも分かっていて。父も森ちゃんも闘病中によく言っていたのは『こっちは気にしないで、練習をしなさい!』ということでした」
父や森さんのために自分ができることは何なのか――。
「トレーニングをきっちりすることなんだって思って。そんな私を介して、父や森ちゃんが少しでも元気になってくれたらという思いもありました」
日本記録で優勝しても「次は7mだね」
森さんが闘病中だった2006年5月の国際グランプリ大阪大会。井村さんは女子走り幅跳びで6m86cmの日本記録(当時)を樹立し、見事優勝を果たした。
いつもならスタートから着地するまでの一連の動作はすべて記憶している。ただ、この時だけは「その1本だけ手に力が入って、気づいたときにはすでに着地していました」。
記録が出た瞬間は、ようやく日本記録を出せた喜びととともに、森さんと同じ日本記録保持者になったうれしさ、やっと彼女に追いつくことができたという思いがこみあげてきたという。闘病中の親友の存在が大きなパワーとなり、そっと背中を押してくれた。
「森ちゃんから『おめでとう』って連絡が来たんですが、すぐに『次は7mだね。私は20mで』って。おめでとうといってくれる人はたくさんいましたけど、そんなふうにすぐに発破をかけてくれるのは、やっぱり森ちゃんだけでした」