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渡辺勇大「よりを戻したいなと思ったのは…」東野有紗と“じつは離れていた時期”も越えて…ワタガシペアはいかに日本バド界の歴史を変えたのか―2024年上半期読まれた記事 

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矢内由美子

矢内由美子Yumiko Yanai

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photograph byAsami Enomoto/JMPA

posted2024/09/29 17:00

渡辺勇大「よりを戻したいなと思ったのは…」東野有紗と“じつは離れていた時期”も越えて…ワタガシペアはいかに日本バド界の歴史を変えたのか―2024年上半期読まれた記事<Number Web> photograph by Asami Enomoto/JMPA

パリ五輪では2大会連続の銅メダルを獲得、その後ペア解散を発表した渡辺勇大と東野有紗

渡辺「よりを戻したいなと思ったのは…」

 その間、東野は2015年3月に富岡高校を卒業して社会人の日本ユニシス(現BIPROGY)に入社。別の選手と組んだことによって渡辺との相性の良さを再確認するようになり、渡辺が富岡高校卒業後の進路を決める頃にLINEで渡辺を日本ユニシスに“勧誘”した。

渡辺「ふとした時にいきなりLINEで『来てほしいな』と先輩から連絡が来ました。どんな文面を返したか? 『それはありがたいです。ただ、僕の将来なので、僕が良いと思ったところに行こうと思ってます』と返信しました。そういえば先輩が高校を卒業するタイミングでもLINEが来ていましたね」

 渡辺は社会人になったら男子ダブルスと混合ダブルスで世界と勝負したいという意思を固めていた。そのため、「その2種目で自分が輝ける場所、パートナー関係もそうですし、自分が強くなれる場所を自分で決めようと思ってました」という。

 東野が高校を卒業した後は、渡辺も別の選手とペアを組んで試合に出ていた。

渡辺「僕は高3の時に違う方と組んで1回浮気したんですけど(笑)、よりを戻したいなと思ったのは、スピード感とか攻撃場面での連係で先輩とはすごく波長が合っていたからです」

ワタガシペアは、日本バド界の「期待の星」だった

 こうして16年春、渡辺も日本ユニシスに入社。自分たちの決意で混合ダブルスのユニットを確立していった2人は、東京五輪に向けて強化を推し進める機運にも乗った。

 日本バドミントン協会は13年9月に東京五輪の開催が決定した後から混合ダブルスの強化にも本腰を入れ始めていた。そして、16年リオ五輪ではペア結成からわずか1年4カ月で出場した数野健太&栗原文音組(当時日本ユニシス)が日本勢初のベスト8進出を果たしていた。

 髙橋礼華&松友美佐紀の女子ダブルス金メダル獲得でも盛り上がっていた16年秋。日本バドミントン協会は東京五輪で全5種目のメダル獲得を目指し、当時ナショナルB代表の渡辺と東野を混合ダブルスの強化ペアとして育てていく計画を立てた。

 当時の日本は、女子シングルスと女子ダブルスで五輪および世界選手権のメダルを獲得しており、男子シングルスと男子ダブルスも世界選手権のメダルを手にしていたが、混合ダブルスだけまだ五輪でも世界選手権でも表彰台に上がったことがなかったのだ。

 2人は希望の星だった。渡辺は社会人1年目だったこの年、リオ五輪に練習パートナーとして帯同し、「ほかの大会と選手の気持ちの入り方が違っていましたし、肌で感じる大会の素晴らしさは、どの大会を通しても一番かなと思いました。僕自身もそこの一番を狙ってやりたいと思っています」と大いに刺激を受けていた。

 東野も「リオ五輪では(ナショナルAに)混合ダブルスが1ペアしかいなかったのに数野さんと栗原さんがベスト8に入った。練習も大変だったはずなのにすごいと思いました。それを見て、東京で絶対に金メダルを取れるように準備をしていきたいと思いました」と意気込んでいた。

【次ページ】 渡辺と東野、それぞれの今後は…

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