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<リポビタンD presents>レジェンド達からリーチマイケル、姫野和樹、ワーナー・ディアンズまで「ラグビー日本代表歴代選手の言葉でONE TEAMに」

posted2023/09/05 11:00

 
<リポビタンD presents>レジェンド達からリーチマイケル、姫野和樹、ワーナー・ディアンズまで「ラグビー日本代表歴代選手の言葉でONE TEAMに」<Number Web> photograph by Kiichi Matsumoto

ラグビー日本代表が再び世界に挑む時がやってきた ©JRFU,2023

text by

生島淳

生島淳Jun Ikushima

PROFILE

photograph by

Kiichi Matsumoto

 9月8日開幕するラグビーワールドカップ(RWC)。前回の日本大会でベスト8まで進出した日本代表が新たなチャレンジに挑む。

 過去のRWCでの日本の戦いを振り返ってみると、苦闘から成長への物語がある。1991年の第2回大会で1勝を挙げた日本だったが、2勝目は24年後のイングランド大会の南アフリカ戦まで待たなければならなかった。

 世界を驚かせた日本は、2019年の日本大会でさらなる飛躍を遂げる。しかし、苦難の時期にも桜のジャージを支えた選手たちがいた。

「個人の力が2にも3にも上がってくれば、自ずとチーム力も上がると思う」

 大畑大介は快足ウィングとして、1999年と2003年大会に出場し、合計3トライを挙げている。特に1999年大会でウェールズ相手に挙げたトライは、持ち前のスピードを生かした素晴らしいトライで、現地で観戦していた私も誇らしかった。「チロチロ線香花火を燃やすより、でかい花火を一発打ち上げられたらいい」と堂々と語る大畑らしいトライだった。

 この大会では、現代表ヘッドコーチ(HC)のジェイミー・ジョセフも日本の一員として戦ったが、3戦全敗。日本は存在感を示せなかったが、大畑は世界を驚かそうと必死だった。彼自身は2002年にフランスへと渡り、自らの経験値を高めてそれを日本代表に還元しようとしていた。

 代表の個人個人が意識を高く持って成長していけば、チーム総体として戦えるはずではないか。大畑は「個」から日本を強くしようとしていた。

「経験に勝るものは何もない。経験することによって、ある程度どんな状況でも対処できると思ってるんです」

 大畑は、個人の経験値を高めることが日本の強さにつながると信じていた。次の2003年大会ではフランス相手に健闘を見せたが、最終的には4戦全敗。大畑の思いは実を結ぶことはなかったが、海外にも挑戦していく姿勢は後輩たちに受け継がれていくことになる。

「過去や遠い未来は自分で変えることができない。できるのは、目の前のことに全力を尽くすこと」

 2007年大会、予選プール最終戦のカナダ戦。ノーサイド寸前、大西将太郎のコンバージョンキックが決まり、引き分けた。日本の意地を見せた一戦だった。

 一方で、選手たちは勝利を得られないもどかしさを感じていた。過去の敗戦の記録を塗り替えることは出来ないけれど、菊谷崇は目の前のことに集中することで日本代表の歴史を変えようとした。

 菊谷は2005年のスペイン戦で初キャップを獲得。2008年11月からはジョン・カーワン率いる日本代表のキャプテンとなり、2011年のRWCニュージーランド大会では4試合すべてに出場した。

 それまで高校や大学でキャプテンを務めたことがなかった菊谷だったが、個性派集団をまとめるリーダーシップを発揮する。過去の結果から見れば期待値は低いかもしれないし、明るい未来を想像することも難しい。それならば、代表に選ばれた仲間と連携し、目の前の仕事に集中しよう。それが菊谷のリーダーシップだった。

 結果は1分3敗。4年前と同様に対戦したカナダとはまたしても引き分け。開催国で優勝することになるニュージーランドには大敗を喫した。選手たちの熱意を束ねる方向性を示す指導者が求められていた。

 それから4年後、2015年のRWCで、日本は世界を驚かせる。予選プールの初戦で南アフリカを逆転で破り、3勝1敗の好成績を残す。日本のラグビーの歴史が変わった大会だった。

 この結果を得るために何が起きたのか? 日本代表はそれまでの発想を根本的に変えたのだった。

【次ページ】 「世界中どこもやってないくらいムチャクチャ練習している」

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