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「いろいろな人が挑戦できる世の中になって欲しい」東大卒元プロ野球選手宮台康平が見据える、これからのサポートのカタチ

posted2023/03/31 10:00

 
「いろいろな人が挑戦できる世の中になって欲しい」東大卒元プロ野球選手宮台康平が見据える、これからのサポートのカタチ<Number Web> photograph by Shiro Miyake

text by

福田剛

福田剛Tsuyoshi Fukuda

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Shiro Miyake

「自分にとってはすごく大きな挑戦だったなと思います。苦しい経験、悔しいことがいっぱいあった一方で、実力以上の舞台で戦うことができた、トップレベルの選手と真剣勝負ができたというのは、やっぱり貴重な経験でしたし、この経験はきっと今後の人生に生きるんじゃないかなと思っています」

 昨シーズン限りで現役を引退した宮台康平は、5年間にわたるプロ野球生活をこう振り返った。

最も困難な道に挑戦するのが宮台流の生き方

 神奈川県有数の進学校である湘南高校から東大に進学した左腕は在学中から注目を集め、3年時には大学日本代表として日米大学野球にも出場。2017年に日本ハムからドラフト7位で指名を受け、東大出身6人目のプロ野球選手となった。

 多くの野球人が目指す“念願のプロ入り”だが、宮台の場合は、少し事情が違った。

「ドラフトで指名されたものの、正直言って不安の方が大きかったです。元々プロ一本に絞って野球をやっていたわけじゃありませんし、成功する確証はないので、果たしてプロに進むべきなのかという葛藤はありました」

 それでも最終的にプロ入りを決めさせたのは、挑戦したいという気持ちだった。

「あらゆる進路選択の根底には常に挑戦があります。それは勉強であっても野球であっても同じ。最も困難な道に挑戦するのが僕の生き方です」

恵まれない環境で発揮された雑草魂

 圧倒的な才能を持つ者だけが入団を許されるプロ野球の世界。周りにいるのは、小中学生の頃から硬式のクラブチームで活躍し、強豪高校や名門大学を経てプロに登り詰めた選手ばかり。公立高校、国立大学出身の宮台は異色の存在だった。

 多くの選手達がナイター設備の整った強豪校のグラウンドで白球を追いかけていた一方で、宮台が3年間汗を流した湘南高校は、これぞ公立高校の野球部というべき環境だった。グラウンドは他の運動部と共用のため練習時間も満足にとれず、ネットが破れれば自分達で修理をし、消耗品には予算をかけられないからと、ボールは使い古しのものを練習後に磨き上げるのが日課だった。

「高校生のときはそれが当たり前だったので、なんとも思わなかったんです。でも、東大の野球部に入ったときに専用のグラウンドはあるし、練習で使うボールもすごくきれいで、こんなに環境が整っているのかと驚きました。その東大も六大学リーグの中では設備面で劣っている方なんですけど、湘南高校との差はすごく感じました。好きなだけ練習ができるってすごいなって(笑)」

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