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<三菱重工がスポーツを支える理由とは?>平井理央が5人のアスリートに迫る

posted2023/03/09 08:00

 
<三菱重工がスポーツを支える理由とは?>平井理央が5人のアスリートに迫る<Number Web> photograph by Asami Enomoto / URAWA REDS(2)/MITSUBISHI HEAVY INDUSTRIES(3)

text by

福田剛

福田剛Tsuyoshi Fukuda

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Asami Enomoto / URAWA REDS(2)/MITSUBISHI HEAVY INDUSTRIES(3)

三菱重工グループが、「スポーツは、新しい世界の扉をひらく」をテーマに展開している「三菱重工スポーツチャレンジ」。アスリートにとっての挑戦とは、企業がスポーツをサポートする意味とは――。平井理央さんが5人のアスリートと語り合った。

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浦和レッドダイヤモンズ「ビッグクラブを目指し、共に成長する」

平井 三菱重工グループは、「スポーツは、新しい世界の扉をひらく」をテーマに「三菱重工スポーツチャレンジ」という活動を展開しています。今回、三菱重工がサポートするチームに所属する5人のアスリートに、“挑戦”についてお話をうかがいます。

 酒井選手は2012年に海外移籍を決断されました。きっかけはどういったものだったのでしょうか。

酒井 当時所属していた柏レイソルでJ1優勝を果たし、メディアでも海外移籍を大きく取り上げられるようになりました。自分としてもサッカー選手として海外に挑戦したいという気持ちは持っていました。ただ、当時は21歳と若かったこともあって日本語が通じない場所に飛び込むのが本当に嫌で最後の日まで行きたくないと思ってました。

平井 そうだったんですね(笑)。そこからおよそ10年、海外でプレーを続けるイメージは湧いてましたか。

酒井 いえ、全くなかったです。でも言葉を覚え、生活にも慣れてくると日常のストレスを感じなくなりました。そこからは1年、1年がすごく早く感じました。

平井 ドイツの後はフランスでも活躍されました。成長を感じたところを教えてください。

酒井 やっぱりプレッシャーの中でプレーするのには慣れたと思います。ヨーロッパでは、自分が活躍できなければ町も歩けないし、家族の人生まで左右してしまう。そういう環境のなかでプレーをしてきたので、そこはすごく成長したと思います。サッカー選手として大きな財産です。

平井 2021年にフランスから戻られ、浦和レッズに加入されました。浦和レッズを選んだのにはどういう理由があるのでしょう。

酒井 浦和レッズのクラブの大きさを知ってますし、サポーターの熱さも知っている。そういうやり甲斐のあるクラブでチャレンジしたいというのが、決め手になりました。日本サッカーを盛り上げるには、ビッグクラブが必要です。ドイツで言えばバイエルン・ミュンヘン、フランスで言えばパリ・サンジェルマンみたいな存在にまで、浦和を引き上げたいという想いもありました。

平井 三菱重工は、浦和レッズをサポートしています。企業がスポーツをサポートすることをどのように感じられていますか。

酒井 やはり企業のバックアップがないとチームの運営は難しいですし、日本を代表する企業が僕らを支えてくれているというのは、選手に責任感を与えるという意味でも非常に大きな意味があると思います。

平井 酒井選手にとって挑戦とはどういうものなのかを教えてください。

酒井 挑戦しない限り、成長はもちろん、維持することもできないと思います。挑戦するために浦和レッズに加入しましたが、ここがゴールではないので、一つでも多くのタイトルを獲れるように貪欲に狙っていきたいと思っています。特に個人的にはまだACLを獲ったことがないので、ACLの価値をもっと知ってもらうためにも、今年絶対に獲りたいタイトルです。

酒井 宏樹HIROKI SAKAI

1990年、長野県生まれ。2009年、柏レイソルユースからトップチームに昇格。'10年にJリーグデビューを果たすとレギュラーに定着。'12年、ドイツ・ハノーファー、'16年にフランス・マルセイユへ移籍。'21年に浦和レッズへ移籍し、9年ぶりにJリーグ復帰を果たす。'22年のW杯では日本のベスト16進出に貢献した。

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