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[オランダから愛をこめて]シンジとフェイエの蜜月 トマソン/ファンボメル/ファンマルバイク ほか
posted2023/02/16 09:04
![[オランダから愛をこめて]シンジとフェイエの蜜月 トマソン/ファンボメル/ファンマルバイク ほか<Number Web> photograph by Naoya Sanuki](https://number.ismcdn.jp/mwimgs/3/9/1500wm/img_39bac96ef570e80edf0cd9543e21b99c736656.jpg)
'02年5月8日、フェイエノールトの本拠地デ・カイプでUEFAカップ制覇。鉢巻姿が懐かしい
text by

ミコス・ハウカMikos Gouka
photograph by
Naoya Sanuki
海外移籍初年度にUEFAカップ制覇。躍動するチームの中心に背番号14がいた。フェイエノールトにとって「シンジ・オノ」はどのような存在なのか? 現地記者が当時の監督、同僚、対戦者、そしてレジェンドたちを訪ね回った。
18歳の頃の小野伸二を知る“ペトロ”は今、オランダ南部の小さな街フフトで暮らしている。ゼリコ・ペトロビッチ。ピッチを縦横無尽に駆け回り、常に闘志溢れるペトロの雄姿を、往年の浦和レッズファンなら脳裏に焼きつけているはずだ。
'98年、清水商業高を卒業して浦和に加入したばかりの小野の印象を、ペトロは鮮明に覚えているという。
「シンジは一目で規格外の選手だと分かった。両足を遜色なく使い、激しいプレスを受けても涼しい顔をしながらボールを操る。私は現役時代、多くのビッグプレーヤーとプレーした。セビージャで一緒だったディエゴ・マラドーナもその一人。そんな私が見てもシンジのテクニックは並外れたものだった。いや私だけでなく、誰もがシンジのとてつもない才能に気付いたはずだ」
やがてペトロは小野が欧州でプレーしたい意向であることを知ると、古巣のPSVに連絡した。「シンジ・オノという若いMFはオランダで絶対に成功するから獲得すべき」と熱心に説いた。
「シンジにはオランダのサッカーがピッタリだと思ったんだ。イタリアやスペインに若い選手が行っても、数試合出来が悪かっただけで干されることもある。その点、オランダには若手を起用しながら育てるというビジョンがある。最初は期待に応えられなくても、徐々に力を発揮すればいい。PSVには何度も連絡したんだけどね……彼らは何のアクションも起こさなかった」
