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《ラリージャパンにも参戦!》「先駆者として僕は攻める」日本人唯一のWRCドライバー勝田貴元の挑戦

posted2022/11/04 10:00

 
《ラリージャパンにも参戦!》「先駆者として僕は攻める」日本人唯一のWRCドライバー勝田貴元の挑戦<Number Web> photograph by TOYOTA MOTOR CORPORATION

今季からはハイブリッドシステムを搭載する「GR YARIS Rally1 HYBRID」で戦う勝田貴元

text by

古賀敬介

古賀敬介Keisuke Koga

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TOYOTA MOTOR CORPORATION

ラリー一家に生まれながらサーキットを志した勝田貴元は、23歳にして世界を舞台に戦うべくラリーに転身。WRCで日々成長を続けている。自身初の母国開催を目前に、唯一の日本人ドライバーが期する思いとは。

 将来を嘱望される「レーシングドライバー」だった。10代の頃、サーキットで王座をかけて戦ったライバルたちは今、日本最高峰のレースで活躍している。勝田貴元にも、日本を代表するレーシングドライバーとなる実力は十分にあった。しかし、彼はあえて違う「道」を選んだ。ラリードライバーとして世界に挑むという険路を。

「最初に世界を意識したのは、レーシングカートをやっていた14歳ぐらいの時でした。日本代表に選ばれて世界大会のジュニアクラスに出た時、周りから『予選落ちするかもしれないくらいレベルが高いぞ』と聞かされ覚悟していたのですが、初出場だったのに予選で一番を獲ることができた。そのまま順調に行けば勝てるだろうというところまで行ったのですが……」

 結果は7位。接触などもあり、決勝では予選順位を活かすことができなかった。

「速さはあったし、勝てる要素もたくさんありました。それなのにレースの組み立てや自分の力不足で勝ちきれず、今まで感じたことのなかった悔しさが残った。その時、いつかまた世界に出て、活躍できるドライバーになりたいと強く思いました」

将来が約束された勝田が突然サーキットから姿を消した

 初めて世界を意識した少年は、その後国内でカートからフォーミュラへと順調にステップアップ。登竜門であるFCJではチャンピオンに輝き勢いをつけた。そして、国内フォーミュラ序列2番目の全日本F3選手権では、2013年にシリーズ2位を獲得。翌年は4位と順位を下げたが、プロのレーシングドライバーとして成功するための礎は確実に築き、将来は約束されたも同然だった。しかし、勝田は突然サーキットから姿を消した。レースからラリーへと、進路を大きく変えたのだ。

「当時の状況的に、日本でレースを続けていても世界に行けるチャンスは非常に少なかったし、正直なところ、世界で戦うというビジョンを全く描けなかったんです。そんな時、トヨタがWRCに復帰して、日本人ドライバーの育成プログラムを開始するという話が聞こえてきた。当時21歳だったと思いますが、これが世界に挑む唯一で最後のチャンスかもしれないと思い、ラリーに転向することを決めました」

 かつてWRC(世界ラリー選手権)で幾度も頂点を極めたトヨタが、18年ぶりに復帰する。豊田章男社長がチームの総代表を務めるほど熱量の高いプロジェクトに、勝田は世界進出の夢を託し、若手育成の「WRCチャレンジプログラム」のオーディションに応募。当時、ラリーへの出場経験は数えるほどだったが、最終選考に進み、プログラム参加の権利を勝ちとった。

【次ページ】 ラリードライバーの父が転向を勧めなかった理由

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