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92歳を指導も…Mリーグ優勝・内川幸太郎が語る、プロ雀士のリアルな生活と収入事情「麻雀業界は未成熟。自分で仕事を作るしかなかった」

posted2022/07/28 11:02

 
92歳を指導も…Mリーグ優勝・内川幸太郎が語る、プロ雀士のリアルな生活と収入事情「麻雀業界は未成熟。自分で仕事を作るしかなかった」<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

KADOKAWAサクラナイツのメンバーとして、Mリーグ制覇を成し遂げた人気Mリーガーの内川幸太郎

text by

曹宇鉉

曹宇鉉Uhyon Cho

PROFILE

photograph by

Takuya Sugiyama

“頭脳スポーツ”としての麻雀の新たなファン層を開拓し、年々その勢いを増しているMリーグ。2021-2022シーズンの王者・KADOKAWAサクラナイツに所属する内川幸太郎プロは、物腰柔らかな雰囲気とお手本のようなプレースタイルから“手順マエストロ”の異名をとる人気選手だ。

長野県松本市で生まれ育ち、名門校のサッカー部員だった少年は、いかにして「麻雀で生きていく」という覚悟を固めたのか。麻雀との出会いから“超高齢の教え子”たちとのエピソードまで、Mリーガーとして活躍する41歳の足跡を辿った。(全2回の特別インタビュー2回目/前編へ)

麻雀にハマった、名門校サッカー部時代

――あらためて、内川プロの麻雀歴について伺えればと思います。6歳のころにはすでに牌に触れていたという話も拝見したことがあるのですが……。

内川 初体験は6歳のころの家庭麻雀だったと思いますが、小学校低学年のときにわかっていた役は七対子くらいで、平和(ピンフ)の概念があったかどうかも怪しいところです(笑)。きちんとルールや役について理解したのは、たぶん10歳くらいだったと思います。

――10歳でルールを覚えたというのも、一般的には相当早い気がします。

内川 本格的に麻雀にハマっていったのは、松本深志高校のサッカー部時代です。先輩が残していったものだと思うんですけど、部室に麻雀牌とマットが置いてあって(笑)。部活のあとに残って遊んでいく、みたいな流れができたんです。

――深志高校というと長野県でも屈指の名門校というイメージですが、自由な校風だったんですね(笑)。勉強は得意な方でしたか?

内川 高校に入るまでは(笑)。親が公務員だったので、なんとなく自分もそういう道に進むのかなと思っていたんですけど、いろいろあって進学を断念しまして。20歳くらいのころに、当時よく通っていた地元・松本の麻雀荘のマスターと親しくなって、その方がお店をやめるタイミングで「お前、友達いっぱいいるから引き継ぐか?」という話になったんです。

麻雀プロの“リアルな生活”

――20歳そこそこでお店を持つというのもすごい話ですね。

内川 共同経営でしたけどね。そのときに商売というものを初めて体験して、お店を繁盛させるためにはどうすればいいかということを考えるようになり、麻雀プロの存在を知りました。そこで日本プロ麻雀連盟を受験したのが、プロとしての始まりです。

――24歳でプロ入りしたあとも、しばらくは地元で活動されていたんでしょうか。

内川 はい。月~金は麻雀荘で働いて、土日に「あずさ」で東京に出向いて研修や対局をこなし、月曜の始発で帰って仕事、という生活でした。でもそんな働き方を続けていたらさすがに体がキツくなって。近くにあった別の麻雀荘の社員になり、交通費や大会のエントリー費をスポンサードしてもらいながら、2年ほど松本から東京に通っていました。

【次ページ】 内川が“区の麻雀教室”の先生になった理由

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内川幸太郎
KADOKAWAサクラナイツ

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