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「負けてなお満足」。トップリーグで6期連続ベストホイッスル賞を受賞。日本のラグビーレフリーのパイオニアが、理想の試合に気づいた瞬間とは? 

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多羅正崇

多羅正崇Masataka Tara

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photograph byShiro Miyake

posted2022/07/14 11:00

「負けてなお満足」。トップリーグで6期連続ベストホイッスル賞を受賞。日本のラグビーレフリーのパイオニアが、理想の試合に気づいた瞬間とは?<Number Web> photograph by Shiro Miyake

選ばれたレフリーと何が違うか――

 しかし悲願は叶わなかった。'19年のラグビーW杯日本大会は、アシスタントレフリーの交代要員としての参加だった。

「目標を達成できなかった悔しさはありました。ただ引退は決めていませんでしたし、大会中は、選ばれたレフリーと自分は何が違うんだと試合を見続けました」

 あの熱狂の舞台裏で、麻生は悔しさを噛みしめながらも毅然としていた。

 '22年にラグビーの国内新リーグ「リーグワン」が開幕。そのレフリーにノミネートされず、結果的に前年度のトップリーグ決勝で第一線を退く形になった。新リーグ開幕前には所属するコカ・コーラの廃部が決定。GM補佐でもあった麻生は、現役続行を希望する選手の移籍先を探し続けた。

「『選手に声掛けていいですか』という連絡をもらった時が一番嬉しかったですね。声が掛からなかったらどうしよう、という日々だったので……。その後、会社に残ることもできましたが、『何をやりたいのか』と考え、もともと目指していた大分での教員生活を目指そう、と思いました」

大分のラグビー人の一人として

 帰郷が決まった日は'21年10月13日。

 大分県の教員採用試験に、見事合格した。

 合格しました。大分に帰ります――。律儀な麻生は恩人たちにすぐ報告した。

「学生時代、講師時代にお世話になった先生方に帰郷の報告をしました。大分大学時代の恩師で、県協会の会長も務めた島田義生先生(大分大学名誉教授)には、合格した日に電話をしました。ただその翌日に連絡がありまして……」

 その連絡は、前日に電話で話したばかりの「島田先生」の訃報だった。何の因果か、逝去前日の合格報告になった。

 大分のラグビー発展に尽力した先生たち。大分のラグビー人の一人として、麻生もその意志を引き継ぐ覚悟だ。

 勤務する大分舞鶴は、今年花園に出場すれば2季連続59度目。実現すれば「指導者として花園に行きたい」という三十年来の夢が叶う。しかし教諭となった今、その夢は一人称の視点ではなくなっている。

「もちろん指導者の一人として花園には行きたいです。ただ、私がレフリーとして立った花園――その光景を生徒たちに見せてあげたいですね。その気持ちが強いです」

 そこに麻生レフリーはいなかった。決然とそう答える姿は、すでに“麻生先生”だった。

麻生 彰久AKIHISA ASO

1976年、大分県生まれ。高校からラグビーをはじめ、大分大時代には九州代表に選出。'07年、レフリーとしてトップリーグデビュー。'09年、コカ・コーラレッドスパークスにチームレフリーとして加入。'14年、スーパーラグビーで日本人初のアシスタントレフリーを担当。トップリーグでは'13-'14シーズンから6季連続でベストホイッスル賞を受賞。'21年5月、レフリーを引退。現在は大分舞鶴高校で教員としてラグビー部コーチを担当する。

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