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「負けてなお満足」。トップリーグで6期連続ベストホイッスル賞を受賞。日本のラグビーレフリーのパイオニアが、理想の試合に気づいた瞬間とは?

posted2022/07/14 11:00

 
「負けてなお満足」。トップリーグで6期連続ベストホイッスル賞を受賞。日本のラグビーレフリーのパイオニアが、理想の試合に気づいた瞬間とは?<Number Web> photograph by Shiro Miyake

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多羅正崇

多羅正崇Masataka Tara

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Shiro Miyake

大学時代にレフリーの面白さに目覚め、日本を代表するレフリーにまで登り詰めた、麻生彰久。'21年を最後にホイッスルを置いたパイオニアが、これまでのレフリー人生を振り返った。

「着るのは去年の決勝以来です」

 写真撮影のためにレフリージャージーに袖を通した麻生彰久は、そう言って精悍な顔を綻ばせた。1年前まではトップレフリー。最後の担当試合は2021年5月、秩父宮ラグビー場で行われたトップリーグ(現リーグワン)の決勝戦だ。

 '22年4月、保健体育の教諭として大分舞鶴高校に着任した。全国強豪のラグビー部ではバックスコーチを務めている。

「1年生の担任もしていますが、毎日生徒の成長を感じます。楽しいですね」

 その1年生たちは知っているだろうか。担任の先生が生粋のアスリートであることを。'10年から国内最高のA級レフリーとして11季活動し、最も優秀なレフリーに贈られる「ベストホイッスル賞」を6年連続受賞、日本人で初めて南半球最高峰リーグ「スーパーラグビー」のアシスタントレフリーになった、パイオニアであることを。

麻生レフリーにとって原点の試合

 自然豊かな大分県玖珠町に生まれ育ち、小・中学校時代は剣道少年だった。楕円球との出会いは高校1年の秋、ラグビー部の創設者である故・永楽弘治監督に誘われた。

「地元の森高校(現・玖珠美山高校)は授業でラグビーをする高校でした。屋外のスポーツへの興味もあって、すごく楽しかったですね。永楽先生には、地域をラグビーで元気にしたい、という強い思いがありました。高校3年の時点で、自分も指導者になって永楽先生の意志を継ぎたい、指導者として花園に行きたい、と思っていました」

 教員志望となった麻生は'95年、大分大学教育学部に入学する。大分大学ラグビー部の夏合宿では、監督に代わり「初めて」というレフリーを経験した。

 レフリーっていいなあ。そんな感動を覚えた原点の試合がある。

 大学卒業後、講師をしながら大分県の教員採用試験を受けていた麻生は、コーチ兼レフリーとしても活動。ある時、熊本県の花園予選のレフリーを依頼された。

「荒尾高校(現・岱志高校)対熊本工業高校の試合でした。負けたのは熊本工業だったのですが、その監督さんから『満足だ』と言われたんです。負けたチームからそんな嬉しい言葉を言われたことは初めてで、レフリーっていいなあと思いました。それからは『負けたチームも満足』という試合が理想になりました」

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