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“ウクライナ生まれ”のヒョードルは「私の故郷はロシア」と語った…プーチン大統領に寵愛された男が“悲しんだ、あるトラブル” ―2021-22 BEST5

posted2022/05/10 06:01

 
“ウクライナ生まれ”のヒョードルは「私の故郷はロシア」と語った…プーチン大統領に寵愛された男が“悲しんだ、あるトラブル” ―2021-22 BEST5<Number Web> photograph by Koji Fuse

2004年、地元スタールイ・オスコルでトレーニングに励むエメリヤーエンコ・ヒョードル。右は弟のエメリヤーエンコ・アレキサンダー

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布施鋼治

布施鋼治Koji Fuse

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Koji Fuse

2021年から2022年(対象:12月~4月)まで、NumberWebで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。ボクシング・格闘技部門の第4位は、こちら!(初公開日 2022年3月6日/肩書などはすべて当時)。

 どこまでも続く巨大なひまわり畑。それが目に焼きついた夏のスタールイ・オスコルの風景だった。このひまわりには肥沃な土を作り連作障害を防ぐ効果があるばかりでなく、放射性物質に汚染された土壌の浄化にも使用されたという話を聞いたのは、ずっとあとになってからのことだ。

 スタールイ・オスコルは、ロシア西部に位置するベルゴロド州にある人口20万人ちょっとの都市だ。州はウクライナ共和国に隣接し、旧ソ連時代に未曾有の事故を起こしたチェルノブイリ原子力発電所もそれほど遠くはない。ロシアの国花でもあるひまわりには、特別な意味があった。

PRIDEデビュー時のヒョードル「私の国籍はロシアです」

 日本人などひとりも住んでいない同地に、私は3度も足を運んだ。そこは、日本でも絶大なる人気を誇るエメリヤーエンコ・ヒョードルが育ち、当時住んでいた町でもあった。ペレストロイカ(社会主義体制崩壊に至った、ロシアの経済改革運動)から10年余り、ロシアがようやく落ち着いてきた穏やかで平和な時代だった。

 ヒョードルのPRIDEデビューは2002年6月23日の『PRIDE.21』だった。ちょうど20年前の話になるが、試合直前に一悶着があった。「ヒョードルが国籍のことで怒っている」という話を耳にした、PRIDEの広報を務めていた笹原圭一氏(現・RIZIN広報事業部長)が慌てて駆けつけると、ヒョードルは「私の国籍はロシアです」と訴えてきた。手にした大会パンフレットで彼の国籍はウクライナと記されていた。

「実際に会ったときには怒っていたというより、すごく悲しそうな面持ちでした」(笹原氏)

 間違いではない。ヒョードルの両親はウクライナ人で、仕事を求めスタールイ・オスコルへ。ヒョードルもウクライナで生まれ、幼少期に家族とともに引っ越してきた。

「当時は選手の出身地を表記することが多かったので、ヒョードルの国籍はウクライナということになったと記憶しています。事前に当時ヒョードルが所属していたロシアン・トップチームのトップであるウラジミール・パコージンさん(故人)にも確認して、了解を得ていたんですけどね」(笹原氏)

 周囲にとってはどちらでもよかったが、本人にとっては大問題だったということだろう。大会数日後、ヒョードルのところだけ国籍の表記や国旗を刷り直したパンフレットを5部ほど本人に渡すと、飛び上がるほどの勢いで喜んでいたという。

【次ページ】 「サンボ70」の指導者が言った「あのウクライナ野郎」

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