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箱根駅伝2区で“17人抜き”した男・村澤明伸30歳の今「(大迫傑と)どんどん差は開いていく」「医師の指示で、一度完全に走るのをやめた」―2021-22 BEST5

posted2022/04/29 11:01

 
箱根駅伝2区で“17人抜き”した男・村澤明伸30歳の今「(大迫傑と)どんどん差は開いていく」「医師の指示で、一度完全に走るのをやめた」―2021-22 BEST5<Number Web> photograph by AFLO

東海大時代、2010年、11年、12年と2区を走った村澤明伸(写真は1年時、この年も10人抜きを果たしている)

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加藤康博

加藤康博Yasuhiro Kato

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2021年から2022年(対象:12月~4月)まで、NumberWebで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。箱根駅伝部門の第2位は、こちら!(初公開日 2022年1月9日/肩書などはすべて当時)。
東京五輪のマラソンで6位に入賞した大迫傑が佐久長聖高時代に、朝練習から常に挑んでいた先輩がいた。村澤明伸、30歳。大迫は「高校でも、アメリカでもチームの中で一番じゃなかったのが良かった」と語るが、当時、日本人高校生最強と言われた村澤の存在はその象徴だろう。だが、現在はSGホールディングスに所属する村澤は長らく故障に苦しみ、華やかな舞台から遠ざかっている。恩師・両角速が「エースらしいエース」というランナーに、大迫のこと、故障の詳細、そして現在地について話を聞いた。

「高校、大学、実業団と一緒のチームで過ごしたり、道が分かれたり。そうしていく中で私と彼(大迫傑)の結果はどんどん差が開いていく。正直、いやでもそれは目に入ります。彼の活躍は自分を正しく律してきた結果であり、尊敬の気持ちはずっと持っています。アメリカに拠点を置くなど、今まで日本人がやってこなかったこともやってきたわけですからね」

 大迫傑について質問すると、村澤明伸は静かにこう語った。

 高校時代は1学年下の大迫とともに全国高校駅伝で佐久長聖高校を初優勝に導いた。東海大入学後も駅伝やトラックで学生長距離界のエースとして活躍し、特に11年の箱根駅伝2区で、チームを20位から一気に3位へと引き上げた勇姿は今も多くのファンの目に焼き付いていることだろう。トラックでも11年の日本選手権10000mで2位。早稲田大学の大迫とともに、大学卒業後も日本の長距離・マラソン界を引っ張っていく存在と見られていた。

 しかし、その後、村澤は長らく故障に苦しんだ。大迫が活躍した東京五輪は代表権を獲得できず、テレビで観戦するしかできなかった。

「ただ、私にも私なりに積み上げてきたものがあります。それはいいとか悪いとかいう問題ではないと思うんです。もちろんオリンピックは見ていて悔しかったですけど、その気持ちがある以上、まだ自分はやれるはず。今はただ自分を信じたいと思います」

 19年9月に行われた東京五輪マラソン代表選考レース、マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)。村澤は公表はしていなかったものの、その1年以上前からコンディションを崩しており、「今、振り返れば走る前からオリンピックを目指せるような状態ではなかった」と話す。だが結果への言い訳にしたくなかったからか、その前後の時期、自身の体について詳細に口にすることはなかった。

ジョグですら疲れるように…

 当時のことについて口にするようになったのは2021年、東京五輪の直前になってからだ。最初に異変を感じたのは日清食品グループに所属していた2017年春。ペースを上げようとすると意識と体の反応にギャップが生まれる瞬間があったという。

「その時は一瞬だけでしたので、まったく気にならなかったです。後になって練習日誌を見返して“ああ、ここの時から兆候があったんだな”と気がついたくらいで」

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