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母親の死に「岡田さんはすぐブラジルに戻れ、と…でも」悲しみを乗り越えW杯初出場 呂比須が語る現役秘話とFW育成への提言

posted2022/01/11 11:02

 
母親の死に「岡田さんはすぐブラジルに戻れ、と…でも」悲しみを乗り越えW杯初出場 呂比須が語る現役秘話とFW育成への提言<Number Web> photograph by Jun Tsukida/AFLO

フランスW杯出場にすべてを尽くした呂比須ワグナー。その功績は日本サッカー史に残っている

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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Jun Tsukida/AFLO

ブラジルから帰化を選択し、日本サッカーに貢献した人物は多い。その代表格の1人が呂比須ワグナー。フランスW杯の日本代表に名を連ねたストライカーは指導者になって以降、紆余曲折のキャリアを歩んでいる。そんな彼に現状、そして現役時代の秘話を聞いた(全2回/前編も)

 日本でプレーヤー、指導者として歩んだ呂比須ワグナー。現役時代に衝撃を受けた選手や、日本のフットボールへの印象、提言などについて聞いた。

強いパスが出たら追いつけないけど……

――日本で一緒にプレーした選手、対戦した選手で最も印象に残るのは?

「ヒデ(中田英寿)だね。1997年に僕がベルマーレ平塚へ移籍したら、若いのに(当時、高卒3年目の20歳)もうチームの大黒柱だった。

 完璧なテクニックと優れた戦術眼を持ち、体がとても強い。メンタリティーが独特で、自分よりずっと年上のベテラン選手にも何の遠慮もしない。すべての点で、他の日本人選手とは全く違っていた。『将来、これは大物になる』と確信した」

――当時から、中田はスペースへ強いパスを出していました。

「欧州でプレーすることを意識していて、世界基準のフットボールが頭の中にあったのだろう。チームメイトから『そんなに強いパスを出すなよ。追いつけないじゃないか』と文句を言われても、平然と聞き流していた」

――あなたも彼に注文を付けたのですか?

「そうだよ。僕はスピードが特長の選手ではないから、非常に強いパスが出たら追いつけない。でも、やっぱり彼は言うことを聞いてくれなかったね(苦笑)」

ヒデが「DFがそこで負けていたらダメだよ」と叱ったんだ

――そんな中田に対して、チームメイトはどんな態度を?

「みんな、彼が大変な能力の持ち主であることはよくわかっており、その点に関しては一目置いていた。しかし、言うことを全く聞かないので、怒っている選手が少なくなかった。

 ある試合で、ブラジル人のCBが空中戦で競り負けたことがあった。すると、ヒデが『DFがそこで負けていたらダメだよ』と叱ったんだ。これを聞いたCBが激怒して、2人がつかみ合いの喧嘩をしそうになった。僕が間に入り、何とかその場を収めたことがある」

――中田は、若い頃から欧州でプレーすることを意識していたようですね。

「間違いない。あるとき、移動のバスの中で彼が料理の本を読んでいた。『どうしてそんな本を読んでいるの』と聞いたら、『外国で一人暮らしをしたら、自分で料理をする必要があると思うから』。ペルージャ(イタリア)からオファーを受ける1年以上前のことだ。

 外国語も勉強していた。自分のキャリアと人生の目標をよく考え、それを実現するための準備と努力をしていた。そういう点でも、他の選手とは全く違っていた」

――その後の彼の活躍を予想していましたか?

【次ページ】 母親がこの世を去っても日本代表を離れなかった理由

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