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「自分の教科書作り」「メンバーから外される恐怖心」日本ラグビー界最高のスクラム職人を生んだ葛藤の日々とは 

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多羅正崇

多羅正崇Masataka Tara

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photograph byShiro Miyake

posted2022/01/07 08:00

「自分の教科書作り」「メンバーから外される恐怖心」日本ラグビー界最高のスクラム職人を生んだ葛藤の日々とは<Number Web> photograph by Shiro Miyake

「日本大会を外から見ていたくない」

 新たな旅の始まりは'09年だ。引退後、清宮克幸監督の要請によりサントリーで社員コーチをしていた長谷川に、人生を変える出来事が起こる。4年に一度のラグビー世界最強決定戦が、日本にやってくる――。

「'09年に'19年の日本大会開催が決まりました。これはすごいことになる、外から大会を見ていたくない、と思いました。『ジャパンのコーチとして日本大会を迎える』ことが夢になり、翌年に会社を辞めました」

 傍目には大胆不敵な夢だったろう。しかし決意は揺らがず、'10年秋、大企業の会社員からプロコーチに転身。清宮監督と共にヤマハ発動機の首脳陣になると、まず自分だけの「スクラムの教科書」を作り始めた。

「清宮監督からの『感覚で喋っている』という指摘を受けて、スクラムの感覚を言葉にする『教科書作り』をしました。家の中で身体を動かしながら言葉を羅列していったら、30~40枚の文書になりました」

 ガムシャラに取り組んだ感覚の言語化。「力を漏らさない」「後列5人の力を伝える」といった長谷川理論の本格的な萌芽だった。

スクラムを組むためだけの仏遠征

 清宮監督、長谷川コーチのスクラムに懸ける情熱は比類がなかった。スクラムを組むためだけにフォワードがフランスに遠征するという、前代未聞の海外武者修行を2度('12、'15年)にわたり敢行。フランスでの経験からオリジナリティ追求の重要性を認識した長谷川は、独自理論で強力スクラムを作り上げる。迎えた'16年のリーグ開幕戦、3連覇王者のパナソニックをスクラムで圧倒して撃破。名声を高めた長谷川の下に同年、念願の知らせは届いた。

 長谷川は4人いるジャパン主要コーチのうち、唯一の日本人コーチとして'19年大会を迎えた。初の8強入りに尽力すると、大会後に景色が一変していた。

「街でスクラムコーチが声を掛けられるんだから驚きますよね。あの大会でスクラムへの関心が高まりました。ヤマハの元選手たちは今、様々なチームでスクラムコーチをしています。本当に嬉しいことです」

 ジャパンのコーチとして'19年大会を迎えたい――。そんな夢を抱いた男の有言実行が、多くの人に豊かな果実をもたらした。

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