Sports Graphic NumberBACK NUMBER

「自分の教科書作り」「メンバーから外される恐怖心」日本ラグビー界最高のスクラム職人を生んだ葛藤の日々とは

posted2022/01/07 08:00

 
「自分の教科書作り」「メンバーから外される恐怖心」日本ラグビー界最高のスクラム職人を生んだ葛藤の日々とは<Number Web> photograph by Shiro Miyake

text by

多羅正崇

多羅正崇Masataka Tara

PROFILE

photograph by

Shiro Miyake

2019年、日本列島にラグビー旋風を巻き起こした世界大会から3年。日本のスクラムを変えた男が、こだわるディテールとは――。

 ファンや関係者は尊敬の念を込めて「スクラム番長」「スクラムドクター」と呼ぶ。

「自分からそう言ったことはないですよ」

 福々しい笑顔は恵比寿様のようだ。しかし8対8の真剣勝負「スクラム」と向き合う姿には、阿修羅のごとき迫力がある。

 長谷川慎。2019年、日本ラグビー史上初の8強入りに貢献したジャパン唯一の日本人主要コーチは、1cmのディテールにこだわる日本流の緻密さで世界を驚かせ、スクラムの価値、奥深さを広く伝えた。

 逆境を乗り越えてきた努力家だ。

 4歳から競技を始め、京都・東山高校時代は花園に出場。中央大学では主力フッカーとして活躍し、卒業後はサントリーに入社――華々しいキャリアだが、窮地と無縁ではなかった。転機は社会人2年目だった。

「フッカーの後輩として大学時代から日本代表だった坂田(正彰)が入ってきて、1番のプロップに弾き出されたんです。1番は高校時代に1年間しかやったことがありませんでしたが、レギュラーになりたい一心でそこから本格的に取り組みました」

スクラムの研究に没頭する日々の始まり

 不本意なポジション変更から、その後ジャパン不動の1番に君臨するのだから尋常ではない。プロップ歴1年だった長谷川が、スタメンに定着できた理由がある。

「ジャパンのデビュー戦から2試合は怪我人の代役でした。ただ初先発した2試合目に、スクラムでトライを取ったんです」

 代役ながらスクラムでアピール。3試合目の1番も任された。同時期に3番プロップになったサントリーの先輩・中村直人と、スクラムの研究に没頭する日々が始まった。

「『スクラムを押さないとメンバーから外される』という恐怖心でいっぱいでした。中村さんと1日10時間くらいスクラムの映像を見ながら、ああでもない、こうでもないと組み方や対処法を話し合いました」

 スクラムこそが存在意義。そんな崖っぷちの2人は研究成果をピッチで実践し続け、気づけば連続出場記録を打ち立て雑誌の取材を受けるまでになった。「背水のスクラム研究」から1番に定着した長谷川は、'07年の引退までにジャパンで40キャップを獲得。名プロップとして歴史に名を刻んだ。

【次ページ】 「日本大会を外から見ていたくない」

1 2 3 NEXT

ページトップ