第98回箱根駅伝(2022)BACK NUMBER

「抜け道、近道もある」。〈第1回箱根駅伝〉はどんな大会だったのか。【スタートは2月14日、午後1時】 

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清水岳志

清水岳志Takeshi Shimizu

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photograph byNanae Suzuki

posted2021/11/25 11:00

「抜け道、近道もある」。〈第1回箱根駅伝〉はどんな大会だったのか。【スタートは2月14日、午後1時】<Number Web> photograph by Nanae Suzuki

前回大会のスタートの様子。第31回大会(1955年)から現在の1月2日スタートとなった

イノシシがでないようタイマツに銃声

「現在のような立派な道路でなく、箱根山は抜け道もあれば近道もあった。近道一か所で二、三百メートルも近くなるのだから道路の調査も真剣だった。現在の箱根駅伝と違って当時の箱根山はどんなコースをとってもよかった。箱根町までの近道を早大の三浦、慶大の二木選手は十一か所、高師の大浦君は十か所といっていたが、私はこっそり十二か所あることを突きとめていた。

(中略)

 ところが意外な誤算が起こった。箱根山は地元小田原中学と小田原、箱根の青年団が総出で応援にかけつけ、山は手負いのイノシシがでるというのでタイマツをたき、あちらこちらで銃声を放って要所要所にたっていたのだ。近道をしようと考えていたのにすっかりあてがはずれ、結局はだれ一人も抜けがけする者もなく箱根町に到着した」

 午後10時過ぎ、外に雪が降りだした。

 大会が行われたのが2月14日と15日。当初は2月11日、12日に設定されていたが、紀元節で各大学とも式典があり変更になる。また、スタート時刻も朝ではなく、土曜日でも学生は授業に出ることが本分、ということで午後1時になったと伝えられている。実際には、朝にスタートしたかったものの、スタート地点の日比谷公園でデモがあり、混雑を避けるために報知新聞社前からのスタートに変更されたために遅れた、という話が真相のようである。

選手はポケットに2、3円を用意

『箱根駅伝70年史』の座談会から話を拾うと、当時と現在の違いが多くあって面白い。

・当初は帝国大学(現・東京大学)、中央大学、日本大学など10数校に参加の声が掛かったが、10人の走者を揃えられるところが少なく、東京高師、明大、早大、慶大の4校のみの大会になった。

・その4校も部員不足で、当日のメンバー変更はなし。早大4区の内田庄作はハードル、10区の生田喜代治は円盤投など五種競技の選手だった。

・学生のスポーツマンシップを尊重し、計時員、記録員、救護班以外の役員はおかなかった。

・ユニフォームは丸首シャツで、足元はコハゼで留める足袋。金栗四三がハリマヤ足袋と共同開発したもので、“金栗足袋”と呼ばれていた。

・まだ大会に馴染みがなく沿道は閑散としており、報道も報知新聞が伝えるのみだった。

・5区では何が起こるかわからないので、選手はパンツにポケットを作って2、3円を用意していた。

【次ページ】 早大の7区は後の農林大臣・河野一郎

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