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甲子園でヒジを壊した沖縄水産の“悲劇のエース”大野倫 「ぶっ殺す報道」の真相と恩師・栽監督の言葉とは―2020-21 BEST3 

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広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

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photograph byKatsuro Okazawa/AFLO

posted2021/05/04 06:00

甲子園でヒジを壊した沖縄水産の“悲劇のエース”大野倫 「ぶっ殺す報道」の真相と恩師・栽監督の言葉とは―2020-21 BEST3<Number Web> photograph by Katsuro Okazawa/AFLO

沖縄水産でヒジを痛めたものの、プロ入りして巨人・ダイエーなどにも所属した大野倫

なぜ故障発覚後、チームがまとまっていったのか

「僕のワンマンチームだったのが、僕の故障が発覚したあとは、チームがどんどんまとまっていったんです。ほかのメンバーが僕を支えよう、助けようと成長したんですね。それにしてもよく勝てたと思います。

 栽先生は、僕が故障してからは"5失点はOK"という戦い方を指示しました。"大野の出来から言うとそれくらいは覚悟せないかん。そのかわり、いかに6点取るか、7点取るか"。少々点を取られても、戦い方が確立されているので、慌てることはなかったですね。そこは栽先生の指導力でした」

――沖縄県大会では痛み止めの注射を打って登板したが、甲子園では注射を打たなかった。

「甲子園に行くことが最低限の条件でした。そのためには痛み止めを打っても勝たないといけない。当時の沖縄県には"沖水枠"みたいなイメージがあって、甲子園に出るまで絶対に負けられなかった。確かに去年を上回らないと、という意識はあったものの、甲子園に出ることができれば、あとはご褒美という意識もありました。

 栽先生の采配も、予選より甲子園の方が伸び伸びしていました。

 甲子園の2回戦・明徳義塾戦は、スラッガーの津川力(のちヤクルト)選手、エースの浦田貴夫選手を擁して、実力的には完全に負けていましたが、先制されてもあわてなかった。明徳の馬淵史郎監督が、初めての甲子園だったこともあり、何とか6-5で勝つことができた。それに守備も良かった。沖縄水産は伝統的に走るイメージが強いですが、栽先生は守備を徹底的に鍛えたんです。守り切って、ぎりぎりのところで踏みとどまって逆転する、というのがパターンでした」

決勝は大阪桐蔭戦、高校野球の端境期だった

 有名な明徳義塾の星稜戦の「松井秀喜5連続敬遠」は、翌年夏のこと。決勝は、大阪桐蔭との対戦。この学校も夏の甲子園は初出場。今思えば、高校野球の勢力図が大きく変わる端境期だった。

「5回表まで7-4でリードしていましたが、裏に6点取られました。いつか来るとは思いながら投げていました。萩原誠(のち阪神、近鉄)選手、沢村通選手とすごい打者がいました。投手は、先発の和田友貴彦投手は打ち崩したのですが、次に出てきた背尾伊洋投手(のち近鉄、巨人)は予選も通じて初めて見る速さでスピードについていけなかった。大阪桐蔭は当時から複数の投手で戦っていた。僕は一人で投げていた。2枚看板の新しい高校野球に負けたという印象です」

【次ページ】 「倫をつぶしたのは俺の責任かなあ」

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