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スペシャル対談 林敏之×古賀由教「『ヒーローズカップ』から日本ラグビーの未来に差し込む光」

posted2021/03/24 11:00

 
スペシャル対談 林敏之×古賀由教「『ヒーローズカップ』から日本ラグビーの未来に差し込む光」<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

元ラグビー日本代表でNPO法人HEROES会長の林敏之氏(右)と早大からリコー入りした古賀由教選手

text by

生島淳

生島淳Jun Ikushima

PROFILE

photograph by

Takuya Sugiyama

小学生ラグビーの全国大会である「ヒーローズカップ」が初めて開催されたのは、2009年のことだ。

同志社大学、神戸製鋼で活躍し、第1回、第2回のラグビーワールドカップでプレーした林敏之氏がNPO法人ヒーローズの代表となり、大会を発展させてきた。

そして第3回大会で、芦屋ラグビースクールの一員として優勝したのが古賀由教選手。古賀選手はその後、東福岡高校で高校日本一、早稲田大学では大学日本一を経験し、2021年の春からトップリーグのリコーでプレーをする。

ヒーローズカップの思い出、そしてラグビーでの経験を、世代を超えたふたりに語ってもらった。

ヒーローズカップの思い出

――そもそもヒーローズカップに林さんが関わるようになったのは、どんな経緯があったんですか。

 当時は、野球やサッカーのように小学生が日本一を目指す全国大会が、ラグビーにはなかったんです。実は、この大会の前身となる近畿地方のクラブを集めた「マーラーカップ」という大会があり、これを発展させていくためにお手伝いいただけませんか、という話を友人からもらったのが始まりです。

――いまでは全国のクラブが参加する大会になりましたね。

 大きく育ったなあ、という感じです(笑)。

――さて、古賀選手のヒーローズカップの思い出は、どんなものですか。

古賀 優勝したことはもちろんのこと、自分がトライをした瞬間は鮮明に記憶しています。でも、いちばん記憶に残っているのは、神戸のユニバーシアード記念競技場でプレー出来たことですかね。普段は使えないスタジアムですし、すごくきれいで、気持ちの良い芝生の上でラグビーが出来たのがいまだに忘れられません。

 その言葉はうれしいなあ。大人の役割は「場」を作ることだからね。第1回大会は神戸製鋼の灘浜のグラウンドで開催したんですよ。ユニバの競技場を使わせてもらったのは第2回大会からです。

古賀 その第1回大会に出場していたのが、僕の兄なんです。同じ芦屋ラグビースクールでプレーしていたんですが、決勝で京都のアウル洛南に負けてしまって。その試合を見て、僕もヒーローズカップに出て、そこで優勝したいという気持ちがすごく強くなったんです。

【次ページ】 ヒーローズカップの特徴とは

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