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夢の3番清原(30歳)、4番松井(23歳)、5番高橋(23歳)…98年高橋由伸を超える“天才ルーキー”は現れるか?

posted2021/03/06 17:03

 
夢の3番清原(30歳)、4番松井(23歳)、5番高橋(23歳)…98年高橋由伸を超える“天才ルーキー”は現れるか?<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

98年に巨人入り。ルーキーイヤーから打率.300、19本塁打、75打点の成績を残した高橋由伸

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中溝康隆

中溝康隆Yasutaka Nakamizo

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Sankei Shimbun

「少年野球で、高橋由伸さんに憧れて左バッターになる人がたくさんいて、僕もその1人でした」

 数年前、テレビ朝日系列『GET SPORTS』で18年パ・リーグ新人王の田中和基(楽天)がそうコメントしていた。その田中と同じ1994年(平成6年)生まれの大谷翔平も、子どもの頃は背番号24に憧れていたのは有名な話だ。

 ヤクルトの村上宗隆は先日の『スポーツ報知』で由伸本人から取材を受け、幼少時はG党だったことを明かし、「僕、小さい頃は高橋由伸さんをすごく見ていて足の上げ方とかめっちゃマネしていました。憧れがあったので今すごい緊張しながら話してます」と初対面に感激を隠そうとしなかった。「好打者でなんでも打てる。先頭打者ホームランのイメージが強いですね」と07年に35発を放ったシーズンを振り返ったが、2000年生まれの村上にとって、小学校低学年のとき出会ったテレビの中の“地上波中継最後のスーパースター”が高橋由伸だったわけだ。

 実はこの選手ほど世代ごとに評価が分かれる選手は珍しい。イチローが同世代の若者の、松井秀喜がオヤジ系週刊誌のヒーローならば、若い頃の由伸は『小学四年生』や『プロ野球ai』の表紙を飾り、ペプシのイメージキャラクターとして躍動する子供たちのアイドルだった。皮肉にも、その“元慶応ボーイのプリンス”的な華やかな印象が(怪我に泣かされがちなのも併せ)、ときにオールドファンからは頼りなく見えたものだ。それは80年代にON直撃世代が、爽やかなスマイルをふりまく4番原辰徳を「お坊ちゃん野球」と批判していたのと同じ現象である。

キャリア◎、マスク◎、性格◎……

 ルーキー時代の原は多摩川での自主トレにいきなり1万人のファンを集め、タツノリフィーバーを巻き起こしたが、同じように1998年シーズン、高橋由伸のプロ1年目の背番号24狂騒曲は凄まじかった。

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