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「この表紙は放映できません」タブー視された私の本 なぜ日本人は “スーパーの肉”しか見たくないのか

posted2021/02/24 11:00

 
「この表紙は放映できません」タブー視された私の本 なぜ日本人は “スーパーの肉”しか見たくないのか<Number Web> photograph by Azusa Shigenobu

著者が出会った犬と猟をする男。仕事は「猿回し」だという

text by

繁延あづさ

繁延あづさAzusa Shigenobu

PROFILE

photograph by

Azusa Shigenobu

(※この記事では本文中に一部、猟師が仕留めた動物の写真などが掲載されています。血が見えているものもあります。ご注意ください)

 本を出していちばんの衝撃は“こんなに隠されるのか”ということだった。
 生き物を殺して食べている。そんな当たり前の事実が、伝えられないとは。

 猟師と山に入り、殺した獣を家で料理する。あるいは、山の獣の肉をもらって食べる。そんな暮らしを約10年してきた。大きな脚を台所で解体しながら、肉の匂いを嗅ぎながら、どんな料理にしようかと考え、家族が集まる食卓に出す。こうした日々を綴った単行本『山と獣と肉と皮』(亜紀書房)を出したのは昨年秋。山と台所を行き来する中で、当たり前に思えていたことが少しずつ違って感じられるようになり、“いま”を取っておきたくなった。消えゆく風景を写真に撮るみたいに、本を書いた。

<人間の住む世界で“悪いこと”とされていることが、山では当たり前の風景としてあった。“暴力”と“殺す”こと。 

 でもそれは、決して人間だけのおこないではなく、ほかの野生動物たちもそうして生きている。だから、山で見る人間のそうした行為は、間違っているとも思わない、という妙な感覚があった。ずっと人間の世界で暮らしていたから(当然だけど)、その外に出るとずいぶんと常識が違うんだなと思った。(P1)>

 これは拙著「はじめに」からの抜粋。人工物あふれる人間界から離れ、山に入ると、その異世界っぷりに圧倒された。樹々と落ち葉と土、流れる水と風、鳥と獣と小さな生き物たちの世界。おのずと、幼い頃に読んだ昔話や神話の世界が思い浮かんだ。そうしたものに元来“暴力”と“殺す”ことが含まれていたことにも、あらためて気付かされた。

 猟師と山に入っていると、それは当然のことだったのだと思い知る。現代を生きる私たちは、殺した肉しか食べられない。人間は死肉を食す鳥類とも違うし、腐肉にたかる蛆とも違う。そこには必ず、人間が“殺して肉にする”という行為がある。それは野生肉だけでなく、家畜であっても同じこと。

 知らなかったわけじゃない。知っていた、はずだった。でも、はじめて知った気がした。なぜか。おそらく、それが人間の世界では目に見えにくいからじゃないだろうか。私がはじめて知った気がしたのは、言葉や知識のインプットではなく、その風景を見たからなんじゃないだろうか。人間は視覚で多くの情報を得る生きものだから。

「肋骨が露わになった猪の写真」が問題視されて……

『山と獣と肉と皮』は、出版後各メディアの自主規制にひっかかりまくった。原因は表紙カバー写真にあった。肋骨が露わになった猪の写真。これが問題視されてしまう。

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