第97回箱根駅伝(2021)BACK NUMBER

[史上最速世代が語る箱根路 vol.2]
館澤亨次「山の洗礼が、すべての始まりだった」

posted2020/11/26 11:00

 
[史上最速世代が語る箱根路 vol.2]館澤亨次「山の洗礼が、すべての始まりだった」<Number Web> photograph by Nanae Suzuki

東海大・館澤らの世代は「黄金世代」と称され、3年時に総合優勝を果たした。4年時は主将として6区区間記録を更新。

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生島淳

生島淳Jun Ikushima

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Nanae Suzuki

 館澤亨次が東海大学に入学したのは2016年のこと。同級生には高校時代からトラック、駅伝で名を轟かせた選手が多数入学していた。

「同級生の顔ぶれを見て、駅伝のメンバーに入れるのかどうか、本当に怖かったですね。実際、入部してすぐの4月、5月の段階では練習についていけないほどでした」

 それでも環境に慣れ、夏を迎えるころには駅伝の戦力として数えられるようになり、箱根駅伝に向けては、5区の準備を進めた。

「前の年に5区を走った方が卒業したところで、5区の適任者がなかなか見つからなかったんです。そこで僕が指名されたんですが、本当に山で“洗礼”を受けました」

 14番目でたすきを受けた館澤はピッチが上がらず、区間13位に終わる。

「後にも先にも、あれだけ苦しい駅伝はありませんでした。走っている途中で、『フィニッシュできないんじゃないか』と思ったほどでしたから。振り返ってみれば、その前の出雲、全日本といい走りができていて、うぬぼれていました。自分の力を過信したことで、箱根の山で大きなしっぺ返しを受けました。でも、それが自分の競技人生を変えるきっかけになったんです」

「1500mをやらせてもらえませんか」

 箱根駅伝が終わってから、館澤はいったん自分の適性を見直し、1500mへのチャレンジを考えるようになる。

「1年生の終わりに、両角(速)監督に相談して、スピードに自信があったこともあって『1500mをやらせてもらえませんか』と話してみると、監督は快く認めてくれました。練習を始めてみると、想像以上に自分に合っていた種目で驚きました」

 この後すぐに、館澤は1500mで日本を代表するランナーとなる。この年、大学2年では関東インカレ1部、日本選手権で優勝。大学3年ではこのふたつのタイトルに加え、日本インカレも制して1500mの三冠を達成した。

「大学に入る時は、駅伝をやりたかったんですが、1500mで優勝したらうれしいし、楽しい。こんな面白い種目があるのかと思いました。もし、箱根駅伝の5区で苦しい体験をしていなかったら、自分の可能性に気づかないままだったかもしれません」

 

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