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<先駆者の述懐>
宮里藍「頑張って1位になってよかった」
posted2020/04/01 08:00

text by

雨宮圭吾Keigo Amemiya
photograph by
Kosuke Mae
日本人史上初の世界ランク1位に上り詰めた2010年。快挙は喜びだけでなく、葛藤と戸惑いももたらした。だが世界中のゴルファーから尊敬を集めた笑顔と技術は、今の日本女子ゴルフ界で輝く「黄金世代」へ繋がった。'17年に惜しまれながら引退した第一人者が振り返る、アメリカでの挑戦の日々と、頂点から見えた風景とは。(Number1000号掲載)
ナンバーワンの記憶は、弾ける喜びや眩しい栄光の煌めきとともに残っているとは限らない。
「1位だった間は辛い思い出しかないんです。結構きつかったなって」
2010年、年間5勝を挙げた華々しいシーズンにあって、宮里藍の胸の内にくすぶっていたのは、ナンバーワンとは何か、どうあるべきかの葛藤だったという。
「自分のイメージとのギャップやプレッシャー、そういうものの狭間ですごく揺れていて、自分らしくいられた時間があまりなかった印象が残ってますね」
'06年から女子でも導入された、男子と同じ直近2年の平均獲得ポイントで決まる世界ランキング制度。'90年代後半から一時代を築いたアニカ・ソレンスタム(スウェーデン)が初代ナンバーワンとなり、'07年からは約3年の長きにわたってロレーナ・オチョア(メキシコ)がその座に君臨した。
どちらも宮里にとっては憧れの選手だが、オチョアは同時期に米ツアーで戦った親友でもあり、その陽気さ、親しみやすさに「理想の世界一」と感じていた。ゴルフ場にはメキシコ系移民のブルーカラーが多く、オチョアは毎週彼らを集めて激励していた。だから優勝争いをしていると、コース脇に彼らが集まってきて、いつしか「ロレーナ!」の大合唱になっている。
こちらは雑誌『Number』の掲載記事です。
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