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レジェンドたちが繋いだ
日本ラグビーの魂。

posted2019/09/20 14:00

 
レジェンドたちが繋いだ日本ラグビーの魂。<Number Web> photograph by Atsushi Kondo

text by

永田洋光

永田洋光Hiromitsu Nagata

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photograph by

Atsushi Kondo

 国を代表する男たちが楕円球を奪い合うテストマッチの興奮と感動。

 その興奮と感動を日本人が国内で初めて経験したのは1971年。ラグビーのルールを成文化したRugby Football Union(イングランド・ラグビー協会)が、創立100周年を記念して極東ツアーを行ない、代表に準じるチームを日本に派遣したときのことだった。

 純白のジャージーに赤いバラのエンブレムをつけた母国イングランドの準代表に、日本代表は健闘する。

 花園ラグビー場で行なわれた第1戦は19対27。

 そして、第2戦。

 スタンドに入りきれない観客がタッチライン際に座り込んで見守った試合は、双方ノートライのまま推移して3対6でイングランドが辛うじて母国の面目を保つ。

 試合が終わった瞬間に観客は、感動に我を忘れて手当たり次第に日本の選手たちを肩車で担ぎ上げた。代表チームを誇らしく思う気持ちが芽生えた瞬間だった。

 イングランドがスコットランドと世界最古のテストマッチを戦ってから100年目のことだった。

宿澤、森、松尾、そして平尾。

 早稲田大学在学中だった宿澤広朗は、代表の一員としてこの試合を見つめていた。

 恩師・大西鐵之祐の集大成とも言える試合に心を震わせた記憶は、長く熾火(おきび)のようにくすぶり、それは'73年にカーディフでウェールズと戦っても消えることはなかった。

 そんな宿澤がラグビーから離れ、住友銀行(現三井住友銀行)ロンドン支店に赴任している間に'71年の興奮を再現した男たちがいた。

 新日鐵釜石の主力選手だった森重隆は、'79年にふたたび来日したイングランドと花園ラグビー場で対戦。独走トライを奪い、19対21と「あわや」の大接戦を演じる原動力となった。

 森とともに釜石を「北の鉄人」に育て上げた松尾雄治も、'83年にキャプテンとして日本代表を率い、敵地でウェールズと24対29のクロスゲームを演じた。

 衛星生中継されたこの試合を現地で解説したのは、ロンドン赴任中の宿澤だった。

 '85年に帰国した宿澤は、'89年、秩父宮でふたたび歴史を作る。

 自ら監督として指揮した代表で、来日したスコットランドを28対24と破ったのである。

 このときキャプテンを務めたのが、'83年のウェールズ戦に20歳で出場した平尾誠二だった。

 2人は、翌'90年に同じ秩父宮で2度目の世界大会への切符をかけてアジア・太平洋地区予選を戦い、トンガ、韓国に連勝。しかし、胸を躍らせて乗り込んだ本大会ではスコットランド、アイルランドの伝統国に跳ね返され、ジンバブエから「初勝利」を挙げるにとどまった。

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