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<徹底追跡>その後の王者たち――ウィナーズサークル「流れ流れて東大へ」。 

text by

石田敏徳

石田敏徳Toshinori Ishida

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photograph byHisae Imai

posted2018/05/23 15:00

<徹底追跡>その後の王者たち――ウィナーズサークル「流れ流れて東大へ」。<Number Web> photograph by Hisae Imai
同世代約7000頭の頂点に立つのはったの1頭。
すべてのホースマンが憧れる特別な舞台、日本ダービー。
だが栄光を掴んだ後、王者はどのような人生を歩んだのか。
新たな挑戦を続けたもの、繁殖馬として貢献するもの……。
関係者の話から知られざるダービー馬のその後に迫った。

 平成初のダービーは異色すぎる経歴を持つ馬の勝利で幕を開けた。確たる主役が見当たらず、強い混戦ムードのもとで争われたレースを制した馬の名はウィナーズサークル。茨城産馬、芦毛馬、そして芝のレースで勝ち星を挙げていなかった(前2勝はダート)馬によるダービー制覇はいずれも史上初めてで、その後も現在に至るまで“オンリーワン”の記録となっている。


 同馬の馬主で生産者でもある栗山博氏は1954年頃、茨城県江戸崎町(2005年の市町村合併により現在は稲敷市)に栗山牧場を開き、競走馬の生産を始めた。美浦村に近接する牧場は関東馬の前線基地・美浦トレセンから10分足らずの距離にあるが、美浦トレセンがオープンしたのは'78年。牧場の歴史のほうがずっと古い。

 ただ、そんなロケーションだけに育成事業にも力を入れており、利用する厩舎関係者は多く、松山康久調教師とは特に親交が深かった。母クリノアイバーと父シーホークの配合を提案したのも彼だった。北海道まで種付けに出向き、新たな命を宿して戻ってきたクリノアイバーが'86年春に出産した芦毛(=父シーホークからの遺伝)の牡馬は、プロデュース役を務めたトレーナーによりウィナーズサークルと名付けられた。

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平成ダービー最強伝説。~総力特集 第85回東京優駿~
ウィナーズサークル
東京大学

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