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<レジェンドインタビュー>1998.7.7 佐々木主浩が魔神になった日。
text by

鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byNaoya Sanuki
posted2018/04/09 06:00

この男がマウンドに立てば、ファンは勝利を確信した。
敵将さえも、8回までに勝負を決めようと焦っていた。
だが、本人が抱えていたのは「大魔神」像とは裏腹の内面。
最後の1球を託される責任と重圧は、あまりに大きかった。
敵将さえも、8回までに勝負を決めようと焦っていた。
だが、本人が抱えていたのは「大魔神」像とは裏腹の内面。
最後の1球を託される責任と重圧は、あまりに大きかった。
佐々木主浩は、来世の自分をはっきりと描けずにいる。
「生まれ変わったら? 野球はしない。しんどい(笑)。でも、野球やるならストッパーをするかもしれない」
やるのか、やらないのか、結局、どちらかわからない。この矛盾した思いを聞いてみて思った。おそらく、この人は次の世でも大魔神ではないだろうか。
あと3アウト。ファンが勝利を祈り始めると、ハマスタのマウンドに巨大な背番号「22」が登場する。それだけで願いは叶えられたも同じだった。その光景はこの球団の歴史と言ってもいいだろう。ただ、魔神ははじめからそこにいたわけではない。
佐々木が初めてストッパーになったのはプロ2年目、1991年のことだった。守護神だった遠藤一彦の故障離脱によって、先発からリリーフにまわることになった。
「先発では中途半端な自分がいて、そんな自分が勝ち試合で投げられるようになって、みんなから信頼してもらえるようになって、抑えの喜びというか、やりがいというものがわかるようになった。先発ピッチャーの生活を背負っているわけだから、きつい部分はある。でも、だから打たれたら悔しかった。あの頃からやっと、打たれてクソって思うようになったから」
こちらは雑誌『Number』の掲載記事です。
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